#author("2021-03-15T19:50:38+09:00","","")
*台湾皮影戯『割股』考 [#he36b9b8]
#author("2021-03-15T19:51:15+09:00","","")
*台湾皮影戯『割股』考 [#bf5c001d]
#CONTENTS
RIGHT:山下 一夫
**1.はじめに [#g9b16cd9]
**1.はじめに [#fefbf070]
台湾南部に分布する影絵人形劇――台湾皮影戯において、伝統的に最も重視される『蔡伯喈』・『白鶯歌』・『蘇雲』・『割股』の4つの演目を「上四本」と称する。筆者は前稿で、このうち『白鶯歌』と『蘇雲』の成立について検討し、前者が弋陽腔の広東省潮汕・海陸豊一帯における変種の一つである正字戯に、後者が一帯の土着の新興演劇である白字戯に由来することを明らかにし、そこから台湾皮影戯は正字戯と白字戯が一体となった皮影戯が、台湾に伝来して独自の発展を遂げたものであるという見通しを述べた((山下一夫,「台湾皮影戯上四本の『白鶯歌』と『蘇雲』について」,『中華圏の伝統芸能と地域社会』,好文出版,2019年,pp.43-89。))。
なお「上四本」のうち『蔡伯喈』については、やはり弋陽腔系諸腔に由来する演目であるとする林鋒雄の研究があり((&lang(zh-Hant){林鋒雄,〈論台灣皮戲《蔡伯皆》〉,《漢學研究》第19卷第1期,2001年,pp.329-353。};))、また『割股』については、台湾皮影戯のソースの一つに正字戯があるとする鄭守治の論文の中で、以下の台湾皮影戯『割股』と正字戯『孟日紅割股』の唱詞を例に、その共通性が説かれている((&lang(zh-Hans){郑守治,〈台湾皮影戏“潮调”剧目、唱腔渊源初探――兼论潮调与正字戏的关系〉,《正字戏潮剧剧本唱腔研究》,中国戏剧出版社,2010年,pp171-192。};))。
>台湾皮影戯『割股』「日紅問安」:
>>&lang(zh-Hant){孟日紅:(唱【江頭金】)妝臺人去,容顏不似前。亂情梳妝,日夜憂煎,甘旨供調善。夫去天邊,音信難傳,親老誰憐憫?只得淚連連,忍氣吞聲,只愁添親怨。唔夫,你若有中金榜,不念糟糠須念高堂,休把紅妝戀。唔嘆,命乖運丕,若得婆婆身安樂,一爐明香答穹蒼。};
>正字戯『孟日紅割股』:
>>&lang(zh-Hant){孟日紅:(唱)妝臺人去,容顏不似前。懶惰梳妝,日夜熬煎,甘旨供調膳,向蘭房空蹇。夫走天邊,音信難傳,親老誰憐憫?叫奴家望斷了天邊雁,只落得淚慘然,忍氣吞聲,又恐怕添親怨。唔夫,你若得中高魁,不念糟糠,須念高堂。敢把紅妝念,嘆奴家命蹇。若得婆病安然,死而無怨。};
鄭守治はさらに、この正字戯『孟日紅割股』の元となった明伝奇『葵花記』の版本の調査も行い、現存する二種の残本と散齣集所収本を合わせることで、原本に近い内容を復元できる、としている((&lang(zh-Hans){郑守治,〈全本《葵花记》戏文辑考〉,《韩山师范学院学报》,第31卷第5期,2010年,pp.63-68。};))。以上の鄭守治の研究は、台湾皮影戯『割股』、およびその元となった正字戯『孟日紅割股』・明伝奇『葵花記』の性質を明らかにした、極めて優れた研究であると言うことができるが、一方で台湾皮影戯と正字戯の共通点にのみ注目することで、逆に両者の相違点や、広東省潮汕・海陸豊一帯の様々な演劇との関係については検討されないままになってしまっている。
そこで本稿では、上記の鄭守治の研究を出発点として、現存する台湾皮影戯『割股』の資料について検討を行い、そこから台湾皮影戯の性質について考察していきたいと思う((なお、幾つかの資料については鄭守治氏から提供をいただいた。ここに記して感謝申し上げる。))。
**2.台湾皮影戯『割股』 [#g9ae17da]
**2.台湾皮影戯『割股』 [#ne47f8a7]
現存する台湾皮影戯『割股』の抄本について、李婉淳およびクリストファー・シッペールの調査も参考に、書誌情報と齣題を記すと以下の通りとなる((&lang(zh-Hant){李婉淳,《高雄市皮影戯唱腔音楽》,高雄市政府文化局,2013年,pp.37-38、329-332。施博爾,〈施博爾手藏台灣皮影戲劇本〉,《民俗曲藝》,第3号,1981年,pp.30-88。};))。
***(一)「日紅問安」の場面から始まるもの [#p2adfa4d]
***(一)「日紅問安」の場面から始まるもの [#ub19fbb7]
-①『割股』。福徳皮影劇団旧蔵、明治四十四年後協庄黄遠(?-?)抄本。「日紅問安」「土地賜丹」「(孟氏日紅上)」「(楊氏上)」「夫妻相議」「回朝撞遇」「機関坐営」「孟日紅勒路」「機関迫親」「放走日紅」「投店伝府」「報知梁相」「日紅入府」「九天玄女賜丹」「日紅被毒」「閻君判断」「鬼門関会」「孟日紅託夢」「玄女賜剣」「祖逖招軍」「祖逖上奏」「日紅考察」。なおこれは林永昌による排印本もある((&lang(zh-Hant){林永昌,《福德皮影戲劇團發展紀要暨圖錄研究》,高雄縣政府文化局,2008年,pp.58-83。};))。
-②『日紅割股』。福徳皮影劇団旧蔵、林文宗(?-1957)抄本。「日紅割股」「福神賜丹」「日紅割股」「楊氏為云」「梁氏議出」「回朝撞遇」「機関坐営」「日紅勒路」「日紅往京」「機関迫親」「放走日紅」「投店伝奇」「報知梁相」「日紅接信」「梁相進府」「玄女賜剣」「日紅被毒」「閻君判断」「鬼門関会」「日紅託夢」「日紅託夫」「玄女賜剣」「祖逖招軍」「祖逖上奏封官」「日紅考察」「梁異賀喜」。
-③『日紅割股』。福徳皮影劇団旧蔵抄本。「土地賜丹」「楊氏帰亡」「夫妻相議」「回朝撞遇」「劉燿坐営」「日紅勒路」「機関迫親」「日紅割股」「放走日紅」「投店伝奇」「報知梁相」「玄女賜丹」「日紅被毒」「閻君判断」「鬼門関会」「日紅託夢」「考察顔真」「玄女賜剣」「祖逖招軍」「祖逖上奏」。
-④『孟日紅割股』。復興閣皮影劇団旧蔵、張金福(?-?)抄本。「高顔真割股」「出土地賜丹」「(孟氏上)」「(楊氏上)」「(高顔真、梁月英両人同上)」「劉燿坐営」「(孟日紅上)」「機関迫親」「放走孟日紅」「三人投店伝府」「報知梁相」「孟日紅入府」「日紅被毒」「閻王判断」「鬼門関会」「孟日紅託夢」「九天玄女上」「祖逖上」「祖逖上奏」「孟日紅考察」。
-⑤『割股高顔真』。復興閣皮影劇団旧蔵、張命首(1903-1981)抄本。「高顔真」「土地賜丹」「(孟氏日紅上)」「(楊氏上)」「夫妻相議」「争回朝遇」「機関坐営」「孟日紅勒路」「機関迫親」「放走日紅」「投店進相府」「報知梁相」「孟日紅入府」「九天玄女賜丹」「日紅被毒」「閻君判断」「鬼門関会」「孟日紅託夢」「九天玄女賜剣」「逖相軍」「祖逖上奏」「孟日紅考察五府六部将官」。
-⑥『孟日紅割股』。クリストファー・シッペール所蔵抄本(AS.ML.I-1-171)。「日紅割股」「土地賜丹」「楊氏帰亡」「夫妻相議」「劉耀坐営」「日紅勒路」「機関迫親」「放走日紅」「報知梁相」「日紅入府」「閻君判断」「鬼門関会」「日紅託夢」「玄女賜剣」「祖逖招軍」「祖逖上奏」。
-⑦『孟日紅割股』。クリストファー・シッペール所蔵抄本(AS.ML.I-1-172)。「土地賜丹」「機関迫親」「放走孟日紅」「投店伝府」「報知梁相」「日紅入府」「九天玄女賜丹」「日紅被毒」「閻君判断」「鬼門関会」「孟日紅考察」。
-⑧『孟日紅』。クリストファー・シッペール所蔵抄本(AS.ML.I-1-173)。「日紅勒路」「機関迫親」「放走日紅」「投店伝府」「報知梁相」「日紅入府」「玄女賜丹」「日紅被毒」「閻君判断」「鬼門関会」「孟日紅託夢」「九天玄女賜剣」「祖逖招軍」「上奏封官」「孟日紅考察」。
***(二)冒頭部分にさらに「顔真往京」の場面があるもの [#r49d49af]
***(二)冒頭部分にさらに「顔真往京」の場面があるもの [#h9fd4646]
-⑨『割股高雁真』。永興楽劇団所蔵、張新国(1948-)抄本。「顔真往京」「日紅問安」「福徳賜丹」「(孟氏上)」「(楊氏上)」「夫妻相議」「争回府遇」「機関坐営」「日紅勒路」「機関迫親」「放走日紅」「投店進相府」「報知梁相」「孟日紅入府」「九天玄女賜丹」「日紅被毒」「閻君判断」「鬼門関相会」「日紅託夢」「玄女賜剣」「祖狄招軍」「(祖狄上奏)」「(考察)」。なおこれは石光生による排印本があり((&lang(zh-Hant){石光生,《永興樂皮影戲團發展紀要》,國立傳統藝術中心,2005年,pp.158-189。};))、また王淳美も一部を活字に起こしている((&lang(zh-Hant){王淳美,《永興樂影――張歲皮影戲傳承史》,巨流圖書公司,2018年,pp.90-94。};))。
***(三)「夫妻相議」の場面から始まるもの [#i6207b92]
***(三)「夫妻相議」の場面から始まるもの [#p8780914]
-⑩『高顔真』。東華皮影劇団所蔵、1896年徳興号抄本。「夫妻相議」「回朝撞過梁才看走」「機関坐営」「孟日紅勒路」「機関迫親」「日紅割股」「放走日紅」「投店伝奇」「報知梁相」「玄女賜丹」「日紅被毒」「閻君判断」「鬼門関会」「日紅託夢」「考察顔真」「玄女賜剣」「祖逖招軍」「祖逖上奏」。
***(四)全体のダイジェストとなっているもの [#ob4b68ec]
***(四)全体のダイジェストとなっているもの [#i9f8f03f]
-⑪『孟日紅割股』。合興皮影劇団旧蔵、明治三十二年王水生(?-?)抄本。「命日紅勒路」「生母害孟氏」「閻王判断」「鬼門関会」「託夢」「考察顔真」。
-⑫『孟日紅』。クリストファー・シッペール所蔵抄本(AS.ML.I-1-174)。「土地賜丹」「回朝撞遇」「放走日紅」。
また『割股』は、台湾皮影戯の「上四本」の中では近年まで上演が行われ、映像が残っている唯一の演目でもある。管見の限りでは以下の映像が出版されている。
-❶『割股』。永興楽皮影劇団、2000年3月9日、皮影戯館で上演。張歳、張英嬌(主演)、張福裕、張信鴻(鈸、鑼)、張新国、張振勝(弦)、張振勝、張福裕(鼓、梆子)、張信鴻(灯光)((&lang(zh-Hant){《永興樂皮影戲團經典戲目DVD》,國立傳統藝術中心,2005年。};))。
-❷『割股』。福徳皮影劇団、2007年12月14日、皮影戯館で上演。林淇亮(主演)、林武雄(鈸、鑼)、謝強受(弦)、林連標(鼓、四塊)、林武栄(舞台協助)((&lang(zh-Hant){《福德皮影戲劇團發展紀要暨圖錄研究影音DVD》,高雄縣政府文化局,2008年};。))。
-❸『割股』。永興楽皮影劇団、2014年9月4日、皮影戯館で上演。張歳(主演)、張新国(助演)、張英嬌(鑼)、張振勝(弦)、張信鴻(鼓)((&lang(zh-Hant){〈「永興樂皮影劇團」精選折子戲〉,《永興樂影――張歲皮影戲傳承史》附DVD。};))。
いま(一)の中で最も古い、①の明治四十四年の黄遠抄本に拠ってその概略を述べると、以下の通りとなる。
-[日紅問安]高顔真が科挙のため上京した後、母の楊氏と妻の孟日紅が家に残されていた。楊氏は病気になり、肉が食べたいと言う。
-[土地賜丹]土地公が現れる。
-[(孟氏日紅上)]孟日紅は楊氏に食べさせるため自分の脚の肉を切りおとす。土地公が仙丹を与え、楊氏は寿命が尽きるので肉を与えても無駄だと告げる。
-[(楊氏上)]楊氏は肉を食べ足りず、もっと肉を出すように言う。孟日紅がもう肉は無いと言うと、楊氏はそれを信じず、孟日紅を折檻しようとする。隣家の焦大賢が様子を見にやって来て、孟日紅にわけを聞き、自分の脚の肉を与えていたことを知り、楊氏に伝える。楊氏は本当のことを知って恥じて死ぬ。
-[夫妻相議]都の高顔真は状元となり、宰相の梁冀が娘の梁月英と娶せる。高顔真は梁月英に相談し、梁才を遣わして故郷に置いて来た楊氏と妻の孟日紅を都に迎えることを決める。
-[回朝撞遇]都を離れようとしていた梁才を梁冀が捕らえ、高顔真の考えを知って怒る。
-[機関坐営]機関大王劉曜登場。
-[孟日紅勒路]孟日紅が夫を探しに都に向かう。
-[機関迫親]孟日紅が捕らえられ、劉曜の元に連れてこられる。劉曜は孟日紅に結婚を迫る。
-[放走日紅]劉曜に仕える老夫婦が、孟日紅の境遇を哀れんで、一緒に街まで逃げる。
-[投店伝府]老夫婦と孟日紅が都の旅籠に泊まる。
-[報知梁相]孟日紅が都に来たことを梁冀が知る。
-[日紅入府]梁冀が下女の秋香に孟日紅を殺すよう言う。
-[九天玄女賜丹]九天玄女が現れる。
-[日紅被毒]秋香が孟日紅を毒殺し、死体を井戸の中に放り込む。
-[閻君判断]地獄で閻君が孟日紅の審議をした結果、まだ寿命があることが解ったので、魂を3つに分け、1つは現世の夫に会わせ、1つは鬼門関で楊氏に会わせ、1つは現世で生き返らせることとする。
-[鬼門関会]孟日紅が地獄巡りをし、鬼門関で楊氏に会って、生前の行いを感謝される。
-[孟日紅託夢]孟日紅が高顔真の夢枕に立ち、恨みを述べる。
-[玄女賜剣]九天玄女が雷部に命じて井戸の中の孟日紅を蘇生させ、兵書と宝剣を与え、玄妙英と名を換えて祖逖の劉曜討伐に従軍するよう言う。
-[祖逖招軍]孟日紅が祖逖の討伐軍に参加し、劉曜を倒す。
-[祖逖上奏]孟日紅が劉曜を倒したと祖逖が上奏し、皇帝が孟日紅を英烈侯兼理五軍都督一品夫人に封じ、さらに皇太后が宝剣を与えて五府六部の調査を命じる。
-[日紅考察]孟日紅は、高顔真が別に妻を娶り、しかも自分を殺害しようとした件を審議し、梁冀を平民に落とし、秋香を斬首して、梁月英とともに夫に仕えることとして大団円となる。
一見して、蔡伯喈を描いた元末の高明の伝奇『琵琶記』や、糟糠の妻を捨てた陳世美を包拯が裁く京劇『秦香蓮』などにプロットがよく似ていることが分かる。また作中で九天玄女が登場しているが、前稿で指摘したように、この神格は台湾皮影戯『蘇雲』でも重要な役割を担っており、恐らく潮州移民の九天玄女信仰を反映しているものと思われる((「台湾皮影戯上四本の『白鶯歌』と『蘇雲』について」,pp.84-85。))。
**3.明伝奇『葵花記』 [#t8a7a362]
**3.明伝奇『葵花記』 [#j4d6b531]
前述の通り、台湾皮影戯『割股』は明伝奇『葵花記』に基づいている。『葵花記』の作者については、後述する『曲海総目提要』では「作者不明」としているが、同じく後述する甲本に「秦淮墨客校正」とあることから、これを号とした明の紀振倫(?-?)とする説がある((&lang(zh-Hans){齐森华、陈多、叶长海,《中国曲学大辞典》,浙江教育出版社,1997年,p.224。};))。紀振倫は万暦年間の人物で、この「秦淮墨客」の名で伝奇『三桂記』・『七勝記』・『折桂記』・『西湖記』・『双林記』・『霞箋記』の「校」ないし「校正」、小説『楊家府世代忠勇演義志伝』(『楊家府演義』)の「校閲」を行っている。一方で、日本の『舶載書目』に『孟日紅葵花記』が「銭塘高一葦訂正」と記されていることから、これを高一葦の作とする説もある((&lang(zh-Hant){莊一拂,《古典戯曲存目彙考》,上海古籍出版社,1982年,p.1056。};))。高一葦は他に伝奇『金印合縦記』で「西湖高一葦訂正」と記されている人物である。以上を受けて、郭英徳は三者を折衷した以下のような説を述べている((&lang(zh-Hant){郭英德,《明清傳奇綜錄》,河北教育出版社,1997年,p.260。};))。
>この劇は紀振倫が明の無名氏の『葵花記』伝奇を元に改編したもので、原本はすでに散逸しており、著録もされていない。…(略)…高一葦もまたこの劇を改編したが、残念なことに現存の刻本と比較することができない((&lang(zh-Hant){此劇係紀振倫據明闕名葵花記傳奇校正而成,原本已佚,且不見著錄。…(略)…高一葦亦嘗訂正此劇,惜未得與現存刻本相勘。};))。
前章で『孟日紅割股』の内容が『琵琶記』に似ていると記したが、それは元となった『葵花記』の段階ですでに説かれており、明・祁彪佳『遠山堂曲品』「具品」で以下の様に述べられている((&lang(zh-Hans){《中国古典戏曲论著集成》六,中国戏剧出版社,1959年,p.81。};))。
>『葵花』。前半はすべて『琵琶記』を踏襲している。後半は孟日紅が毒を盛られる場面から荒唐無稽な内容に入り、作者の考えた部分はそこだけである((&lang(zh-Hant){《葵花》。前半全襲《琵琶》。後半孟日紅被毒,竟入荒誕。作者之胸次眼界,只如是耳。};))。
『葵花記』の概要については、『曲海総目提要』巻十三で以下の様に記されている((&lang(zh-Hans){人民文学出版社,1959年,pp.597-598。};))。
>明初の旧本で、作者は不明。高彦真と孟日紅の物語を演じる。荒唐無稽な内容で、『葵花記』と称するのは、梁宰相が孟日紅を古井戸に埋め、葵花を上から植えて隠したことから名前を取っている。内容はおおむね以下の通りである。
>高彦真は、湖広高城の人で、幼い時に父を亡くし、母の楊氏が勉強を教えた。成長した後、孟日紅を娶った。隣家の焦大が都に行って科挙を受けるよう薦めた。状元に及第すると、宰相の梁計に迫られて婿入りし、娘の梁月英を娶った。高彦真は梁月英と相談し、下僕の梁才を遣わして母と妻を都に迎え入れることにした。しかし梁計に知られてしまい、高彦真の手紙は隠され、梁才も娘と高彦真に会えないよう閉じ込められた。高彦真の母と妻は毎日高彦真のことを想ったが、何の連絡も来ないまま、飢饉と貧乏に苦しめられた。楊氏が病気になり、孟日紅は自分の腿の肉を切って食べさせたが、結局治らなかった。焦大の力を借りて楊氏の埋葬をし、墓守りを託して夫を探しに都に行くことにした。(以上、いずれの段も『琵琶記』を藍本としている。)
>道中、山賊の機関大王に見つかり、山中に連れて行かれ、妻になるよう迫られたが、孟日紅は拒絶したため、牢屋に閉じ込められた。看守の夫婦が孟日紅を哀れみ、令旗を盗んで一緒に逃げ、関所を出て都までやってきて、旅籠に泊まった。旅籠の女主人は孟日紅に「高彦真は科挙に及第して再婚した」と告げ、孟日紅を宰相の梁計に引き合わせた。梁計は娘に宴を開いてもてなすよう言いつつ、婢女の梅香と謀って鴛鴦の杯に毒を入れた。それを飲んだ孟日紅は倒れた。梁月英が梅香を詰問すると、父親の命令だと白状したので、それ以上咎めることができなかった。梁計は孟日紅を庭の井戸の中に埋め、上を葵花で覆った。九天玄女がこれを知って、土神に命じて上から活命丹をかけさせ、さらに雷神に命じて七日後に井戸の蓋を開けさせ、郊外まで運んで生き返らせた。そして孟日紅を自分に会わせ、神書、宝剣、兵法書を授けて、征西大元帥のところに行き軍功を立てるよう言った。
>元帥ははじめ女の孟日紅を信じなかったが、孟日紅を出陣させると、孟日紅はすぐさま玄女の陣法を使って布陣を行い、縦横に変化する不思議な戦術を使った。そこで先鋒の女将として機関大王を討たせると、一度でこれを捕らえたので、その功を朝廷に上奏した。朝廷は孟日紅を五軍都督一品夫人に封じ、公卿大臣たちを祝賀の席に参列させた。孟日紅の勇猛ぶりを聞いた皇太后が宮中に呼ぶと、孟日紅は梁計が自分を毒殺しようとしたことを話し、恨みを晴らしたいと訴え、密勅を得て自ら査問を行うことになった。まず高彦真がやってくると、孟日紅は強くなじったが、高彦真は言葉に詰まりながらも、謀りごとは知らなかったと訴えた。梁計がやってくると、孟日紅は再び痛罵した。梁計は最初は言い逃れをしていたが、梅香を呼んで細かく問い詰めると、すべては主人の梁計の決めたことで、自分が主人のために計画をしたこと、梁月英は関わっておらず無実であることを話した。そこで朝廷に上奏し、梁計の職を剥奪して平民に落とし、さらに梅香を処刑し、夫婦は和解して元通りとなった。梁月英は事情を知らなかったということで、一緒に暮らすこととした。(劇は大元帥を祖逖とし、山賊を劉曜としているが、いずれもデタラメである。特に劉曜を機関王としているのは、荒唐無稽もいいところである。)((&lang(zh-Hant){明初舊本,未知誰作。演高彥真、孟日紅事。荒唐無據,曰《葵花記》者,梁相埋日紅於古井,種葵花井上以覆之,故即以為名也。略言:高彥真者,湖廣高城人,少而失怙。母楊氏,口授書史。及長,娶妻孟日紅。鄰翁焦大,勸入洛陽應舉。甫擢上第,為權相梁計所逼,入贅其女月英。彥真與月英相商,遣僕梁才,迎接母妻入洛。為計所覺,藏彥真家書,且閉才於密室,不令與女及彥真見。彥真母妻日夜憶彥真,杳無一信,年荒家貧。楊得危疾,日紅割股肉啖之,終不能愈。賴焦翁之力,竭蹶襄事,僅獲葬埋,以墳墓托翁,入京尋夫。(以上,段段以《琵琶》為藍本。)道遇草寇機關大王,掠入山中,逼為壓寨夫人。日紅誓死不辱,錮之牢內。守者夫婦憐其節義,竊令旗與偕逃脫,出關口,徑投洛下。店媼為日紅言:「彥真已得第再婚」,因引日紅見梁相。梁令女設宴款待,而與婢梅香密計,貯毒酒於鴛鴦壺,日紅飲之立斃。月英詰問梅香,言一出其父意,乃不敢言。計乃日紅埋於後園井中,覆葵花其上。九天玄女察知,命土神灌以活命丹,又使雷神於七日之後,揭開井蓋,挈出近郊,返魂重生,引之見己,授以神書寶劍、戰冊陣圖,俾至征西大元帥處投軍立功。元帥以其弱女,未即深信,使日紅排陣。乃以玄女陣法,頃刻布置,縱橫變化,難以測識,遂授前鋒女將,出討機關,一戰擒之,奏功於朝,封為五軍都督一品夫人,命公卿大臣,悉皆趨賀。太后聞其英烈,召之入宮。日紅以梁計鴆害情由,訴請報寃,獲奉密旨,令其自問。會彥真先至,日紅痛訶叱之。彥真辭窮,但力辨不知謀害事,及梁計至,日紅複痛詰責之,計初抵飾,及呼梅香細鞫,供系其主決策,而己為之設謀,月英則實無與。於是備奏於朝,褫計職,謫居口外,重戮梅香,夫婦歡好如初。以月英本不知情,仍留共聚。(劇以大元帥為祖逖,草寇為劉曜,皆隨意竄入。且以劉曜為機關王,更覺荒唐。)};))
『葵花記』の版本については、以下の「甲本」と「乙本」の二種類が現存しているが、いずれも欠損があるため、『曲海総目提要』そのままの内容の、完全なテキストではない。
-(一)甲本。『二刻京本出像音釈高彦真葵花記全伝』。明・万暦年間、金陵広慶堂刻本。中国国家図書館所蔵。最初の3齣分と最後の部分が欠けている。齣題は以下の通
り((&lang(zh-Hant){《葵花記》,《稀見明代戲曲叢刊》③傳奇卷二,東方出版中心,2018年。};))。
--四、焦大勧仕
--五、別親赴選
--六、諸友登途
--七、文場考試
--八、梁相勒贅
--九、勉成伉儷
--十、孟氏割股
--十一、受責喪姑
--十二、差接母妻
--十三、匿書家宴
--十四、別厸尋夫
--十五、機関寇乱
--十六、被擄不辱
--十七、憐節謀脱
--十八、孟氏逃難
--十九、報逃追捕
--二十、脱難投店
--二十一、見妬設謀
--二十二、毒酒砕玉
--二十三、横殀感神
--二十四、勘問釈返
--二十五、婆媳陰会
--二十六、孟氏托夢
--二十七、穽伝術
--二十八、応募入伍
--二十九、討虜成果
--三十、奏績膺封
--三十一、面後陳情
-(二)乙本。『鐫校校正出相点板葵花記』。明刻本。中国国家図書館所蔵、上巻17齣分のみで、下巻が欠けている。齣題は以下の通り((鄭守治氏提供。))。
--一、家門
--二、訓子
--三、宴寿
--四、勧試
--五、別親
--六、遊冶
--七、成名
--八、辞婚
--九、再贅
--十、割股
--十一、喪姑
--十二、差迎
--十三、匿書
--十四、尋夫
--十五、聚衆
--十六、被擄
--十七、計誘
両者で齣が重なっている四~十七の部分は、齣題は異なっているが、字句はほぼ共通している。明伝奇『葵花記』はこのほか、以下の様に散齣集に数齣が収録されている。()内は甲本・乙本に対応する齣を表す。
-明・熊稔寰(輯)『新鋟天下時尚南北徽池雅調』(明万暦間福建書林燕石居主人刻本):巻之一下層「孟日紅托夢」(=二十六)((&lang(zh-Hant){王秋桂(主編),《善本戲曲叢刊第一輯》,臺灣學生書局,1984年。};))
-明・黄儒卿(輯)『新選南北楽府時調青崑』(明末書林四知館刻本):巻之四下層「日紅托夢」(=二十六)、巻之三下層「女官考察」((&lang(zh-Hant){王秋桂(主編),《善本戲曲叢刊第一輯》,臺灣學生書局,1984年。};))
-明・闕名(輯)『新鐫楽府清音歌林拾翠』(清奎壁斎、宝聖楼、鄭元美等書林覆刻本)二集「新鐫楽府葵花拾翠」:「高堂訓子」(=二)、「日紅割股」(=十)、「尋夫遇寇」(=十六)、「計害日紅」(=二十二)、「五殿訴冤」(=二十四)、「婆媳相会」(=二十五)、「日紅托夢」(=二十六)、「考察梁計」((&lang(zh-Hant){王秋桂(主編),《善本戲曲叢刊第二輯》,臺灣學生書局,1984年。};))
-清.・江湖知音者(輯)『新刻精選南北時尚崑弋雅調』(清初刊本):雪集「日紅往京」(=十四)、花集「考察」((&lang(zh-Hans){吴书荫,〈明传奇佚曲目钩沉〉,《古本戏曲剧目提要》,文化美术出版社,pp.805-814。};))
散齣集で重要なのが、『新選南北楽府時調青崑』の「女官考察」、『新鐫楽府清音歌林拾翠』の「考察梁計」、『新刻精選南北時尚崑弋雅調』の「考察」である。前二者は字句がほぼ共通しており(後一者は未見)、内容的には甲本で欠けている最後の齣に相当するものと思われる。ここから鄭守治は、乙本と散齣集にある一~三、甲本・乙本・散齣集にある四~十七、乙本・散齣集にある十八~三十一、そして散齣集のみにある「女官考察」(「考察梁計」、「考察」)を合わせることで、『曲海総目提要』に概要が記されているのと同一の系統の完全なテキストを復元できる、としている。実際、他の齣についても散齣集と甲本・乙本で大きな字句の異同は無く、郭英徳の言うように、かつて明伝奇『葵花記』に無名氏本・紀振倫本・高一葦本があったのだとしても、現存するテキストの系統は一つで、そして恐らくそれは「秦淮墨客校正」、すなわち明の紀振倫の手を経たものということになる。
明伝奇『葵花記』は弋陽腔系諸腔の伝播によって各地で上演が行われ、やがてそれぞれの地方変種が成立した。例として松陽高腔『葵花記』((「台湾皮影戯上四本の『白鶯歌』と『蘇雲』について」,p.86。))、金華婺劇『葵花記』((「台湾皮影戯上四本の『白鶯歌』と『蘇雲』について」,p.86。))、辰河戯『葵花井』((&lang(zh-Hans){《湖南戏曲传统剧本・辰河戏》第4集《葵花井》,湖南省戏曲研究所,1981年。};))、川劇『葵花井』((&lang(zh-Hans){《川剧传统剧本汇编》第11集,四川人民出版社,1963年,pp.1-64。};))などが挙げられるが、中でも重要なのが最初の章で触れた広東の正字戯『孟日紅割股』である。
なお、明伝奇『葵花記』と正字戯『孟日紅割股』とでは、唱詞はおろか、各齣の曲牌の配置も全く重なっていない。例として冒頭で紹介した鄭守治が挙げている部分は以下のようになる。
明伝奇『葵花記』第十齣「孟氏割股」((&lang(zh-Hant){《稀見明代戲曲叢刊》③傳奇卷二,p.22。};)):
>&lang(zh-Hant){【月兒高】(旦)命薄苦遭荒歉,勉力供調膳。姑老形衰倦,更有誰憐?念夫在天邊,音信無回轉。母為憂兒病沾,紗藥難醫遣。(老天,若得婆婆没事就好。倘有差池,丈夫又不在家,衣念棺槨怎生措辦呵?)苦,無計能將孝義全,怎不教人兩淚漣?};
ちなみに鄭守治が正字戯『孟日紅割股』として引用しているのは、1950年代の海豊県永豊正字戯劇団の油印本である((鄭守治氏提供。封面には&lang(zh-Hans){「正字戏 葵花井(又名 孟日紅拷察)」};とあり、また第一頁冒頭に&lang(zh-Hans){「孟日紅考察 口述者:廖潭锐、吴太兴、郑城界、赖佛连 记录者:陈楚仙」};とある。))。いまその内容を、台湾皮影戯『割股』黄遠抄本の各齣と対照させると以下の通りとなる。
|台湾皮影戯『割股』黄遠抄本|正字戯『孟日紅割股』海豊県永豊正字戯劇団油印本|h
|「日紅問安」|「孟日紅割股奉姑」|
|「土地賜丹」|~|
|「(孟氏日紅上)」|~|
|「(楊氏上)」|~|
|「夫妻相議」|(無)|
|「回朝撞遇」|~|
|「機関坐営」|「孟日紅遇姬光」|
|「孟日紅勒路」|~|
|「機関迫親」|~|
|「放走日紅」|~|
|「投店伝府」|「投店」|
|「報知梁相」|「下毒」|
|「日紅入府」|~|
|「九天玄女賜丹」|~|
|「日紅被毒」|~|
|「閻君判断」|~|
|「鬼門関会」|~|
|「孟日紅託夢」|「託夢」|
|「玄女賜剣」|~|
|「祖逖招軍」|~|
|「祖逖上奏」|「孟日紅考察」|
|「日紅考察」|~|
両者はともに明伝奇『葵花記』第十齣の場面から始まり、正字戯『孟日紅割股』に台湾皮影戯の「夫妻相議」と「回朝撞遇」に相当する部分が無いこと以外は、内容・字句がほぼ対応している。
ここで問題になるのが、台湾皮影戯『割股』で⑨として挙げた永興楽劇団所蔵張新国抄本(以下、永興楽本と略)である。これは、(二)冒頭部分にさらに「顔真往京」の場面があるもの、と分類したとおり、黄遠抄本などには無い、高顔真が科挙受験のため上京する齣が存在するが、その内容は以下のとおり明伝奇『葵花記』の第五齣から第九齣に対応している((以下、永興楽本の引用は《永興樂皮影戲團發展紀要》に依る。))。
|明伝奇『葵花記』|永興楽本「顔真往京」|
|明伝奇『葵花記』|永興楽本「顔真往京」|h
|五 別親赴選|【紅南粵】(【紅衲襖】)賢妻聽說,聽我一言說因依:明知新科年到期,家中之事,家中之事你料理,奉母甘指(脂)應自(仔)細。你夫出外不在家,但愿(願)蒼天相保庇,得中金榜歸返員。|
|六 諸友登途|【云(雲)飛】忙步行起。今早離妻別母往京去。路途來迢迢遠,望早到京都,速步走上無延遲。詩書苦讀,不負寒窗,早得高第心歡喜。意望蒼天相保庇,夫妻早早相會期。|
|七 文場考試|[白]君起早,臣起早,來到午朝門外,雞不曉多少好。喔,老夫梁振生,多蒙萬歲勒為主考,在了六步橋頭選了舉子不計其數,單單有黑(湖)廣高城縣高雁真,詩書流利世間罕希。|
|八 梁相勒贅|爭(淨)白:見(既)是前妻現在,老夫有一位女兒,名叫月英,年方十八尚未訂親。意愛從親事匹配狀元為偏旁(房),不知意下如何?生白:噯,老爺差了。小姐乃是千金小姐,卑職乃是初步(粗布)書生,焉敢入了鳳凰群。|
|九 勉成伉儷|爭(淨)白:妙在(哉),吩咐。[科上]從(將)我的女婿,請到棲鳳樓,又令到大街日書館,選調良時大吉日,共我兒女完婚拜堂,有事通報。|
例えば、「日紅問安」の場面から始まる黄遠抄本などの(一)の系統から、「夫妻相議」の場面から始まる(三)の系統や、全体のダイジェストとなっている(四)の系統を作ることはできるが、「顔真往京」の場面から始まる(二)の系統の永興楽本を作ることはもちろん不可能である。また、永興楽本が明伝奇の冒頭部分の内容を受け継いでいることからすると、(一)の系統が成立した後で「顔真往京」が新たに永興楽劇団で付け加えられたということもあり得ないだろう。そうすると、永興楽本の形態が大陸側で成立し、順次場面を省略した(二)、(三)、(四)の系統が台湾で作られたとすれば一見辻褄が合うが、その場合は大陸側の正字戯『孟日紅割股』の海豊県永豊正字戯劇団油印本が(一)の系統と同様に「顔真往京」の場面を持たない構成になっていることの説明が付かない。以上の点からすると、皮影戯が台湾に伝わる前の段階で、少なくとも(一)の系統と(二)の系統の両方の形態があったと考えるのが自然だろう。
**4.潮劇『割股記』 [#l86e5e49]
**4.潮劇『割股記』 [#r8f34167]
正字戯と白字戯は、広東省潮汕・海陸豊一帯に分布する演劇だが、潮汕地域と海陸豊地域とでは形態に違いがある。海陸豊地域では、白字戯の役者が正字戯を兼ねることも多いが、正字戯と白字戯はあくまでも別個の劇種である。一方、潮汕地域では両者の融合が進み、潮劇という劇種の中にそれぞれ正字戯・白字戯に由来する演目が存在している。
前章までで検討した正字戯『孟日紅割股』のテキストは海陸豊地域、さらにその中の海豊県のものであった。これに対して潮汕地域の潮劇は、『潮劇劇目匯考』に収録されている演目を見る限りでは、『孟日紅割股』は無く、代わりに以下の『割股記』が行われている((&lang(zh-Hans){林淳钧、陈历明,《潮剧剧目汇考》,广东人民出版社,1999年,p.1470。};))。
>宋の時代。秦玉蓮の夫・李元栄は、結婚後4ヶ月で都に科挙を受けに行ったまま、15年間音沙汰が無かった。秦玉蓮は薪を採って義母の頼氏を養っていたが、ある日、家に食糧が無くなり、服を質に入れることもできず、頼氏が餓えてどうしようもなくなったので、秦玉蓮は自分の腿の肉を切って頼氏に食べさせた。そこで観音大士が秦玉蓮のために傷口を治した。頼氏は事情を知って深く感謝した。ある日、頼氏と秦玉蓮が城内まで薪を売りに行った時、途中で頼氏は秦玉蓮を振り切って川に身を投げた。秦玉蓮も川に飛び込んだが、土地神に救われた。李元栄は官職を得て都に住んでおり、故郷に帰って家族に会おうとしたが、なかなか機会が無かった。そこに頼氏の魂が夢枕に立ち、もとの家のことを忘れるなと告げた。李元栄はそこでお上の許しを得て故郷に帰り、夫婦が再会して悲喜こもごもとなった((&lang(zh-Hans){宋时,有秦玉莲者,配夫李元荣,婚后四月,元荣上京求名,十五载音讯渺茫,玉莲采薪以奉养婆婆赖氏。一日,家中粮绝,当衣不遂,赖氏饥饿难支,玉莲乃割股奉姑。观音大士为玉莲治好伤口, 赖氏得悉后,甚感之。某日,婆媳上城卖柴,半途赖氏支开玉莲而投江自尽,玉莲遂也投江,但为土地所救。李元荣得官居京,欲归省亲而而未得便。赖氏鬼魂前往托梦,嘱其勿忘旧家。元荣乃请旨回家省亲,夫妻相会,悲喜交集。};))。
一見して分かるように、筋立ては『孟日紅割股』に非常によく似ている。異なっているのは登場人物の名前と、孟日紅にあたる人物が軍功を立てて査問を行う「考察」の場面が無いことである。この中で注意すべきは、「秦玉蓮」と「李元栄」という名前である。
前述の通り、台湾皮影戯『割股』は『琵琶記』の他に、京劇『秦香蓮』ともよく似ているが、それは当然、正字戯『孟日紅割股』や明伝奇『葵花記』についても言えることである。京劇『秦香蓮』は、現在では「秦香蓮が夫の陳世美の不義を包拯に訴え出る」という、評劇から移植された内容が一般的だが((&lang(zh-Hans){曾白融,《京剧剧目词典》,〈秦香蓮〉,中国戏剧出版社,1989年,p.582。};))、以前は以下のように「秦香蓮が軍功を立てて凱旋し、夫の陳世美の査問を行う」という『葵花記』に酷似した内容が行われていた((&lang(zh-Hans){《京剧剧目词典》,〈女审问〉,p.581。};))。
>陳世美は秦香蓮とその子を自分の妻子と認めないばかりか、旅籠に刺客を放って殺そうとしたが、旅籠の主人が秦香蓮母子を逃がし、三官廟に身を隠させた。三官神はこれを見て憐れみ、母子三人に武術を授けた。この時、西夏が攻めて来ていたが、秦香蓮母子三人は軍に身を投じると、すぐに戦功を立てて凱旋した。秦香蓮は都督に封じられ、また冬哥と春妹はそれぞれ忠烈二侯に封じられた。宋王が秦香蓮に罪を犯した十三名の官吏の査問をさせることとなったが、その中に陳世美も含まれていた。陳世美は前妻の存在を隠匿し、君主を欺いた罪があると王丞相が奏上したからである。査問の際、秦香蓮は陳世美の不忠と不孝を責め、斬首しようとしたが、冬哥と春妹の取りなしで、陳世美を包公のもとに送って審理させることとなった((&lang(zh-Hans){陈世美不认秦香莲母子,反派人到旅店行刺,店家放走秦香莲及其子女,藏于三官庙中。三官神见而悯之,授母子三人以武艺。时西夏犯境,香莲母子三人投军,立下战功,得胜还朝。香莲受封为都督,冬哥、春妹分封忠烈二侯。宋王命秦香莲审问十三名犯官,内有陈世美。因陈被王丞相参奏,隐瞒前妻,有欺君之罪。在审问中,秦香莲责其不忠不孝,欲问斩。冬哥、春妹讲情,乃将陈送往包公处审理。};))。
秦香蓮故事の初出は明・安偶時の小説『百家公案』第二十六回「秦氏還魂配世美」だが、この時点では軍功を挙げるのは秦香蓮の子どもだけで、また審理を行うのも最初から包拯であ
る((&lang(zh-Hant){明・安遇時,《新刊京本通俗演義全像百家公案全傳》,《古本小說叢刊》(劉世德、陳慶浩、石昌渝,中華書局,1991年)景印名古屋市蓬左文庫藏萬曆二十二年朱氏興畊堂刊本。};))。
>陳世美が秦香蓮を殺し、残された二人の子どもが竜頭嶺の黄道空に弟子入りして武術を身につけ、海賊退治で功績を挙げて凱旋、中元三官菩薩に助けられた秦香蓮とともに包拯に訴え出て、陳世美が裁かれる。
これが大きく変化したのは清代の『賽琵琶』である。台本は残っていないが、清・焦循『花部農譚』でその概要が述べられている((中國城市戲曲研究會(校譯),「『花部農譚』校注 附:譯注稿」,『中国都市芸能研究』,第十五輯,2017年,二二-二五。))。
>花部に『賽琵琶』という演目がある。わたしはこの芝居が非常に気に入っている。陳世美が妻を捨てる話である。陳世美には父・母・息子と娘がいた。都に上り科挙を受けて及第し、親王の婿に迎えられると、元の妻を捨て、両親をも顧みなかった。そして両親は死んでしまった。生前には世話をし、没後には葬儀を上げ、妻はまるで『琵琶記』の趙氏のようであった。葬儀が終わると息子と娘を連れて都に上ったが、陳世美は自分の妻であることも、自分の息子と娘であることも認めなかった。いずれも婿君という身分の貴さに目がくらんでいたためであった。婿君となった上は、妻と息子と娘がいたことなど決してあってはならないということだろう。妻は都で琵琶を弾いて物乞いをし、夫に捨てられたことを歌った。それが王丞相の知るところとなった。ちょうど陳世美の誕生日が来たので、王丞相は祝いに行って言った。「琵琶を弾くのがうまい女がいるので、呼びよせて言祝ぎをさせましょう。」女がやってくると、元の妻であったので陳世美はうろたえ、むりやり追い出し、王丞相までも罵った。王丞相は贈り物を引き上げると、従者に宿まで運ばせて、元の妻と息子に与えることにした。王丞相はひそかに元の妻に言った。「お前の夫は人々の前でお前を妻と認めるわけにはいかなかったのだろう。わたしが夜中にお前を送っていってやれば、きっと受け入れるだろう。」言ったとおり、王丞相の命とあって門番も拒めなかった。陳世美もまた情をかきたてられたが、姫君とのことを考えて、どうしても元の妻を受け入れなかった。妻はひざまずいて言った。「わたくしはお暇を頂戴してもかまいません、死ぬも生きるもあなたのお心に従います。しかし息子と娘だけはあなたさまの子ですから、どうか引き取っていただけませんか。」陳世美も悲しみに心を動かされ、再三考えたが、けっきょくのところ大いに罵り門番につまみ出させた。そして妻がいることが不都合になると思い、夜半に刺客を宿屋に送って妻と子供たちを殺させた。さいわい先にそれと分かったので、宿の主人は妻と子供たちを逃がし、三官堂の神廟に隠した。妻が衣を脱いで子供たちに覆いかぶせ、首を吊ろうとしたとき、三官神が妻を救い、兵法を授けた。ちょうどその時、西夏が戦をしかけ、妻は子供たちと軍功を上げていずれも高い位を得た。王丞相は陳世美が刺客を送って妻を殺そうとしたことをつきとめて憤慨し、陳世美には妻がありながら帝をあざむいたとして弾劾し、獄に下した。ちょうど妻が子供たちと手柄を立てて戻ってきたので、いくつかの事件の審判を行うよう命じ、陳世美の件もその中に含まれていた。妻は虎皮の将軍の椅子を正庁にすえて出座した。陳世美はしばられて引き出され、白洲にはいつくばって見てみれば、かつての妻であったので、恥ずかしさに身の置き所もない様子であった。妻は夫の罪を数え上げて責めたて、千語以上を述べ立てた。ある人は、『西廂記』の「拷紅」の場面で紅娘が(張生と崔鶯鶯との関係をとがめる)鄭夫人を痛罵するのは大いに爽快だが、『賽琵琶』の「女審」の場面ほど胸がすくものはないと言っている。『西廂記』は男女がふしだらな交わりをするもので、学識のある人々は観たがらない。『賽琵琶』は「三官堂」の場面より前は、いくたの風雪を耐え忍び、草の根をかじるような苦労をして、鬱々として気が晴れないところに、とつぜんこの胸のすく場面を聞くことになる。これはまったく長患いがふいに回復し、ひどく痒いところに手が届いたようなもので、はればれとする心地よさは、言葉にできない。これは『琵琶記』には見られないものだ((&lang(zh-Hant){花部中有劇名《賽琵琶》,余最喜之。為陳世美棄妻事。陳有父、母、兒、女。入京赴試登第,贅為郡馬,遂棄其故妻,並不顧其父母。於是父母死。妻生事、死葬,一如《琵琶記》之趙氏,已而挈其兒女入都,陳不以為妻,並不以為兒女。皆一時艷羨郡馬之貴所致。蓋既為郡馬,則斷不容有妻、有兒女也。妻在都,彈琵琶乞食,即唱其為夫棄之事。為王丞相所知。適陳生日,王往祝曰:「有女子善彈琵琶,當呼來為君壽。」至,則故妻也。陳彷徨,彊斥去之,乃與王相詬。王盡退其禮物,令從人送旅店,與夫人、公子,陰謂其故妻曰:「爾夫不便於廣眾中認爾,余當於昏夜送爾去,當納也。」果以王相命,其閽人不敢拒。陳亦念故,乃終以郡主故,仍強不納。妻跪曰:「妾當他去,死生唯命。兒女則君所生,乞收養之耳。」陳意亦愴然動。再三思之,竟大詈,使門者撝之出。念妻在非便,即夜遣客往旅店刺殺妻及兒女。幸先知之,店主人縱之出,匿於三官堂神廟中。妻乃解衣裙覆其兒女,自縊求死。三官神救之,且授兵法焉。時西夏用兵,以軍功,妻及兒女皆得顯秩。王丞相廉知陳遣客殺妻事,甚不平,竟以陳有前妻欺君事劾之,下諸獄。適妻帥兒女以功歸,上以獄事若干件令決之,陳世美在焉。妻乃據皋比高坐堂上。陳囚服縲絏至,匍匐堂下,見是其故妻,慚怍無所容。妻乃数其罪,責讓之,洋洋千餘言。說者謂:《西廂・拷紅》一齣,紅責老夫人為大快,然未有快於《賽琵琶・女審》一齣者也。蓋《西廂》男女猥褻,為大雅所不欲觀。此劇自〈三官堂〉以上,不啻坐凄風苦雨中,咀荼齧檗,鬱抑而氣不得申,忽聆此快,真久病頓甦,奇癢得搔,心融意暢,莫可名言,《琵琶記》無此也。};))。
上の引用から分かる通り、秦香蓮故事は『賽琵琶』で『葵花記』によく似た内容に変わったが、これについては『賽琵琶』が『葵花記』を元に作られたためだという指摘がすでにあ
る((&lang(zh-Hans){张宏生,《明清文学与性别研究》,江苏古籍出版社,2002年,p.66。};))。
『賽琵琶』に由来する演目は現在、各地の地方劇で行われており、成立後は中華圏で広く流行したことが伺える。もちろんそれは、梆子腔の伝播によって広まったという側面もあるが、それだけではなく、筋立て自体の面白さも関わっているだろう。『葵花記』にも「考察」の場面はあるが、「悪かったのは岳父の丞相」で「前夫は陰謀を知らなかった」というよりも、『賽琵琶』のように「地位のために自分たちを殺そうとした前夫を糾弾する」方が、よほど「胸がすく」内容である。「女審」の場面を持つ『秦香蓮』の演目は潮劇にも移植されたが((&lang(zh-Hans){《潮剧剧目汇考》,p.1183。};))、正字戯『孟日紅割股』が過去に潮汕地域で全く行われなかったとは考えづらいため、話が重なっている上に「より面白い」『秦香蓮』が入って来て、淘汰されたと考えるのが自然だろう。
また、海陸豊地域の陸豊皮影戯も現在『孟日紅割股』の演目を持っていないが、展開がよく似た『李彦栄認妻』がある。1957年の「汕頭専区木偶、皮影戯観摩会演」で上演された記録があり((&lang(zh-Hans){林淳钧,〈硕果仅存的皮影潮剧〉,《潮剧闻见录》,中山大学出版社,1993年,p.264。};))、また1963年の陸豊皮影劇団抄本が現存してい
る((&lang(zh-Hans){《陆丰皮影剧团演出〈传统剧目〉李彦荣认妻 六三年五月一日》(抄本)。鄭守治氏提供。};))。この演目は、武状元となった李彦栄の衙門に、故郷に置いて来た妻の蔡玉珠がそうと知らずに訪れ、以下の様に唱うところから始まる((&lang(zh-Hans){《陆丰皮影剧团演出〈传统剧目〉李彦荣认妻 六三年五月一日》,p.6。};))。
>旦那様。祖父の名は李英と申し、私の夫の名は李彦栄です。私の義弟は李彦貴で、王忠の非道な扱いに悩まされています。(王忠は)私の義弟を獄に入れて苦しめ、岳母はそれを聞いて亡くなってしまいました。私は旦那様に訴え出るため、千里遙々こちらにやって来ました。どうか旦那様、私の代わりに冤罪を雪いでください((&lang(zh-Hans){(唱)老爷呀!公公名字叫李英,我夫姓李名彦荣,我叔就叫李彦贵,恼恨王忠无道理,陷害我叔狱受苦,婆婆闻报已去世,小妇千山万水来到此,要求老爷把冤伸,期望老爷多悯悯,代我伸恨见青天。};))。
抄本によれば、このあと李彦栄は蔡玉珠に自分の正体を明かし、連絡していなかったことを詫びた上で、処刑場まで乗り込んで行き、弟の李彦貴とその妻の王桂英を救出する、という展開となる。
この『李彦栄認妻』の元になっているのは、明伝奇『売水記』である。完本は残っていないが、散齣集に収録されている内容から、「領兵の李彦栄が、弟の李彦貴とその妻の黄月英を救出し、冤罪を晴らす」という話だと分かる((&lang(zh-Hant){明・黃文華,《新刻京板青陽時調詞林一枝》,日本内閣文庫藏萬曆元年福建葉氏刊本,卷之四下層〈黃月英生祭彥貴〉。王秋桂(主編),《善本戲曲叢刊第一輯》,臺灣學生書局,1984年。};))。この演目は各地の弋陽腔系諸腔で「江湖十八本」の1つとして上演されているが((山下一夫,「台湾皮影戯上四本の『白鶯歌』と『蘇雲』について」,p.86。))、李彦貴の妻の名は「黄月英」から「黄桂英」に変わっている((&lang(zh-Hans){班友书,〈黄梅戏探源札记――《血掌印》和《卖水记》〉,《黄梅戏艺术》1986年2期,pp.65-70。};))。黄と王は音が近いため、陸豊皮影戯の「王桂英」もこの一種だろう。
潮劇にも『売水記』故事の演目はあるが、陸豊皮影戯と異なり、上演されているのは弟夫婦の危機を李彦栄に知らせるために名馬・火炎駒を走らせるという内容の『火炎駒』である。これはもともと、陝西の李十三(芳桂)が碗碗腔皮影戯のために作った演目で((山下一夫,「郃陽木偶戯初探」,『中国都市芸能研究』第五輯,2006年,pp.4-14。山下一夫,「郃陽木偶戯の形成と梆子腔」,『近現代華北地域における伝統芸能文化の総合的研究 課題番号:17320059 平成 17 年度~平成 19 年度科学研究費補助金(基盤研究 (B))研究成果報告書』,2008年,pp.28-35。))、人戯にも採用され、京劇でも常演演目になっている。潮劇版は『秦香蓮』同様、梆子腔から移植されたものであるが((&lang(zh-Hans){《潮剧剧目匯考》,p.249。};))、隣接する陸豊皮影戯に『李彦栄認妻』があることからすると、旧時に潮汕地区で弋陽腔系の『売水記』が行われなかったとは考えにくいだろう。
以上の材料から、潮劇『割股記』は以下のような段階を経て成立したものと思われる。
>(1)潮汕地区で梆子腔から『秦香蓮』や『火炎駒』が移植されて人気となる。(2)その結果、基層にあった正字戯系の『孟日紅割股』と『売水記』が凋落する。(3)『孟日紅割股』の枠組に、『売水記』と『秦香蓮』から人名が流用され、李彦栄に似た「李元栄」や、秦香蓮に似た「秦玉蓮」に置き換わる。(4)さらに『秦香蓮』との重複を避けるために「考察」の場面も削除される。
こうした操作を経ることで、潮劇は海陸豊の正字戯や、台湾皮影戯とは異なる演目が行われることになったのだと思われる。
**5.おわりに [#vfb148df]
**5.おわりに [#kf26c4a3]
以上、台湾皮影戯『割股』の抄本間の相違や、これと関係のある広東省潮汕・海陸豊一帯の演劇の演目の問題について検討を行ってきた。ここから分かることとしては、まず台湾皮影戯の同一演目で幾つかのバリエーションがあった場合、もちろん台湾で発生したものもあるだろうが、大陸側にあった段階ですでにそうした相違が存在していたものもある、ということである。すなわち、台湾皮影戯内部での多様性は、それ自体が大陸由来のものである可能性も考慮して行く必要がある。
そうして台湾皮影戯を大陸側の演劇と比較して考える場合、広東省潮汕・海陸豊一帯に存在する様々な演劇の中で、「ぴったり同じ」となる劇種は無い。台湾皮影戯は、用いる音楽が「潮調」と称されるため、潮劇との関係が連想されがちだが、現在の潮汕地域の潮劇は台湾皮影戯と演目の上でかなりの距離がある。それは陸豊皮影戯も同様で、前稿で扱った台湾皮影戯『蘇雲』はよく似た演目を持っていたが、『割股』に関してはそうではない。比較的近いのは海陸豊地域の正字戯ということになるが、台湾皮影戯『割股』との類似も、黄遠本の系統に関して成り立つことであって、現状では永興楽本に近い形態のものは見当たらない。
そうすると、台湾皮影戯は広東省潮汕・海陸豊一帯に現在分布している様々な演劇と、いずれとも類似性を持ちつつ、一定の距離も存在する、ということになる。恐らくこれらと共通の祖先から早い段階で枝分かれした結果であろう。台湾皮影戯を研究してゆくにあたっては、そうした視点から大陸側の様々な演劇と慎重な比較検討をしていく必要があり、そしてそれは潮汕・海陸豊一帯の様々な演劇を理解することにもフィードバックさせることができる。そうした作業を積み重ねて行くことで、これら潮州系の芸能全体のパースペクティブの獲得も志向できるように思われる。
※本稿は日本学術振興会科学研究費補助金「近現代中華圏における芸能文化の伝播・流通・変容」(令和2年度、基盤研究(B)、課題番号:20H01240、研究代表者:山下一夫)、および「中国古典戯曲の「本色」と「通俗」~明清代における上演向け伝奇の総合的研究」(平成29 ~令和2年度、基盤研究(B)、課題番号:17H02327、研究代表者:千田大介)による成果の一部である。