『都市芸研』第十九輯/旧西唐故事初探

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旧西唐故事初探

千田 大介

はじめに

唐の太宗朝から高宗朝にかけて活躍した将軍・薛仁貴は、後世、通俗文芸の題材となり、元雑劇や明伝奇、さらには小説『隋唐両朝史伝』・『説唐後伝』等でその英雄譚が扱われた。一方、明末の『金貂記』伝奇薛仁貴の架空の息子・薛丁山が登場し、さらに清代の中期にかけてその物語は、いわゆる薛家将故事――必ずしも薛仁貴一族のみを扱うわけではないので、本稿では北京・河北の民間芸能の呼称を用いて西唐故事と呼ぶ――へと発展し、小説『説唐三伝』や演劇・芸能で広く扱われた。

一方で、『金貂記』から西唐故事への発展過程に関する研究は長らく停滞した状態にあったが、柴崎公美子の主に清代の宮廷演劇台本を対象とした一連の論考を通じて、薛丁山・樊梨花故事の変遷の一端が明らかになった。一方で、柴崎の論では、清代戯曲史における宮廷演劇の位置づけが十分に意識されておらず、また周辺の戯曲・芸能台本への参照が不十分であるため、宮廷演劇に閉じた議論になっている嫌いがある。

かかる状況をふまえて、筆者は千田大介2019・2020を通じて、『三皇宝剣』伝奇と内府本『西唐伝』、さらには北京・冀東皮影戯の影巻(台本)『前鎖陽』・『鎖陽関』などの比較対照を通じて、清代中期の北京および北方中国では三休樊梨花の展開や登場人物が小説『説唐三伝』と異なる物語が行われていたこと、乾隆末年頃にそのサイドストーリーとして『三皇宝剣』伝奇が作られたが、そのうち失われた第四本で演じられていたと推測される羅章の結婚のくだりは、乾隆末年に北京で活躍した西秦腔の女形、魏長生の十八番である粉戯「滾楼」を取り込んでいたこと、そして皮影戯影巻『鎖陽関』には両者を結合させた痕跡が見られることなどを明らかにした。

一方、筆者のこれまでの西唐故事研究は主に『三皇宝剣』伝奇とその影響を論じており、研究の過程で存在が浮上した旧西唐故事、すなわち小説『説唐三伝』以前に北京および北方中国で行われていた薛丁山・樊梨花を軸に展開する物語については、十分に検討してこなかった。そこで本稿では、『三皇宝剣』伝奇、内府本『西唐伝』伝奇、影巻『前鎖陽』・『鎖陽関』、および京劇・伝統劇の台本・劇目などへの検討を通じて、旧西唐故事の内容や行われた地域、さらに小説『説唐三伝』との関係などについて、幾つかトピックを取り上げて考察したい。

西唐故事の内容

『三皇宝剣』伝奇と影巻『鎖陽関』

清朝宮廷で演じられた、いわゆる内府本の戯曲を除くと、現存する最も古い西唐故事の戯曲は『三皇宝剣』伝奇である。『三皇宝剣』伝奇は頭本から三本までが現存し、杜穎陶旧蔵本が中国芸術研究院図書館に蔵される。その概略は、以下の通りである。

薛仁貴が征東途上で妻とした樊金定は、薛仁貴らが鎖陽関に包囲されたと聞き、子の薛景山らを伴い救援に赴く。途中、薛景山は女将・竇金蓮と結ばれ、またその兄の竇一虎も救援に参加する。樊金定らは鎖陽関の包囲を突破するが、薛仁貴は罪を恐れて妻であると認めず、樊金定は薛仁貴を痛罵して憤死する。太宗は薛仁貴を捕縛して諸将を宣撫し、薛景山等は四門の敵を撃退する。薛景山らは敵の軍師・李道符を破り、その過程で竇一虎は蔣翠屏と結ばれる。李道符は妖怪の助力を得て、陰兵劫煞陣を布く。

『三皇宝剣』伝奇は四本以降が失われているが、内府本『西唐伝』や影巻『前鎖陽』などとの対照から、羅章と結ばれた李蘭英・洪月娥が敵陣を破り、竇一虎が三皇宝剣で李道符を討ち取って西涼を降す、といった内容であったと推測される*1

嘉慶・道光年間に編まれたと思われる、内府本『西唐伝』、影巻『前鎖陽』とその流れを汲む現代の冀東皮影戯影巻『鎖陽関』といった西唐故事の伝奇・影巻は、いずれも『三皇宝剣』伝奇の影響を受けている。すなわち、樊金定の鎖陽関救援と自尽、羅章が李蘭英・洪月娥と結ばれ、竇一虎が三皇宝剣で敵将李道符を斬る、といった内容を取り込んでいる。『三皇宝剣』伝奇は京腔の伝奇で、乾隆末年の作であると思われるが、当時、北京の演劇市場でかなりの評判を取った劇であったことが窺われる。

このように、薛丁山・樊梨花を主軸とする旧西唐故事のみを扱った、すなわち『三皇宝剣』伝奇や小説『説唐三伝』の影響を全く受けていない伝奇・影巻は現存していないが、逆に言えば、旧西唐故事がそれぞれのテキストに継承されていることを意味する。

以下では、まず西唐故事を扱ったテキストの中で、首尾が整い最も長い範囲をカバーする、冀東皮影戯の影巻『鎖陽関』の概略を見ておきたい。冀東皮影戯は台本を見ながら上演することもあって多種多様な影巻が残っているが、以下では中国都市芸能研究会がこれまでの研究活動で収集した中で、最も整っている遼寧省凌源市郭永山氏旧蔵16冊本(1980~82年抄本)に基づく(〇×△については後述)。

  • 1冊
    • 〇李道宗、薛仁貴を酔い潰して翠花宮に運び込み、娘娘に戯れたと誣告する。太宗、薛仁貴を死罪に問う。尉遅敬徳、諫言が聞き入れられず憤死する。西涼の反表が届き、太子が親征、薛仁貴は元帥となり功で罪をあがなう。
    • ×樊金定、薛景山の勧めにより薛仁貴のもとに向かう。
    • 〇薛仁貴、界牌関を攻めるが守将・蘇江と引き分ける。
  • 2冊
    • 〇王禅、薛丁山を父の助勢に下山させる。薛丁山、薛仁貴の元に投じ、蘇江を討ち取る。薛仁貴、寒江関を攻め、姜須、樊竜・樊虎を討ち取る。驪山聖母、樊梨花を下山させる。樊梨花、父・樊洪の元に投じ、薛丁山と対陣、法術で捕らえて結婚を約する。樊洪、憤死する。樊梨花、寒江関を献じる。
    • ×五峰山の竇一虎、薛景山・強竜・強虎を捕らえる。姉の竇金蓮、薛景山と結婚する。
  • 3冊
    • 〇唐軍、牛頭関を攻める。薛丁山、楊凡と対陣し樊梨花の許嫁であると知る。一休樊梨花。
    • 〇唐軍、函谷関を攻め、薛丁山、魏奔の法宝・聖手に落命する。姜須、一請樊梨花。樊梨花、魏奔を破り、薛丁山を仙薬で蘇生させる。薛丁山、樊梨花を闇討ちしようとする。二休樊梨花。
  • 4冊
    • 〇薛丁山、魏奔を走らせ、函谷関陥落。唐軍、鎖陽関を攻め、蘇海*2の空城計に陥り、包囲される。
    • ×竇一虎・薛景山ら、魏奔を破り鎖陽関東門に至る。徐勣、転殺四門させる。薛仁貴、詐術を疑い拒絶、樊金定自尽する。唐軍、薛景山らを受け容れる(大罵城)。
    • 〇蘇海、黄羊子を得て、二困鎖陽関。
  • 5冊
    • 〇薛丁山、黄羊子の落魄幡に落命する。姜須、二請樊梨花。樊梨花、黄羊子を討ち取り、薛丁山を仙薬で蘇生させる。薛丁山、三休樊梨花。
    • △黄羊子の妹の黄紅霄・黄雲霄(二霄)、魏奔帳下に投じ、七箭法で竇金蓮を害する。竇一虎、彩霞聖母の助勢を請う。二霄、竇一虎を捕らえ、金沙で彩霞聖母を退ける。彩霞聖母、窪鼻大仙の助勢を請う。東方朔、竇一虎を救出、草人を奪って七箭法を破り、二霄を退ける。竇金蓮、魏奔を討ち取り、魏金蟬を捕らえる。
  • 6冊
    • △竇一虎、魏金蟬と結婚。二霄、九尾仙姑の助勢を得て、蘇海の帳下に投じる。九尾仙姑、強竜・強虎を討ち取り、竇金蓮を破る。
    • 〇樊梨花、寒江関に攻め寄せた楊凡を討ち取る。
      元元老祖、西涼に投じ、金沙陣を布く。
    • 〇姜須、三請樊梨花するも、打ち据えられる。薛金蓮、兄に代わり寒江関に赴くも、口論に発展(小罵城)。
  • 7冊
    • 〇薛丁山、姜須とともに寒江関に。樊梨花、大帳で薛丁山を跪かせるが、夜、送枕。樊梨花、鎖陽関を救援し元元老祖を破る。
    • 〇薛仁貴、病気に。水を汲みに行った薛丁山、白虎を射て、一箭還一箭、薛仁貴死す。樊梨花、元帥に。
    • △樊梨花、驪山聖母の下山を請う。驪山聖母、金沙陣に入るも、金沙に敵せず。竇一虎、三皇宝剣を求めて黄石公を訪ねるが、霧で洞門を隠され、崑崙山の東方朔の元から宝剣を盗み出す。
  • 8冊
    • △三皇宝剣、妖怪に変じて、夏員外に自らの廟を建てさせる。黄石公、三皇宝剣を収める。唐軍、金沙陣攻略。竇金蓮・魏金蟬、陣中産子。黄石公、三皇宝剣で元元老祖を討ち取る。九尾・蘇海、敗走する。
    • 〇蘇海、牧羊関の花面狼に投ずる。花面狼、薛丁山に敗れる。白納真人、蘇海の子、蘇文を下山させる。蘇文、樊梨花に敗れ、白納真人・白霊聖母の下山を請う。
  • 9冊
    • 〇白納真人・白霊聖母、樊梨花の誅仙剣・定海珠に敗れ、九花娘娘に援軍を請う。九花娘娘、截仙陣を布く。
    • 〇樊梨花、薛丁山に鎖陽関の羅章夫婦を召還する使者を命ずるが、反抗したため打ち据える。その後、後宅で謝罪する(抱盔頭)。
  • 10冊
    • 〇姜須、鎖陽関に向かう途上、楊翠屏を降して妻とする(爬柳樹)。樊梨花、截仙陣に討ち入り、五香扇に敗れる。驪山聖母、樊梨花を蘇生させ下山、彩霞・碧霞に南極教主の助勢を、竇一虎に、王禅・王敖・馬霊聖母の助勢を請わせる。姜須、復命し陣前招親を報告、樊梨花、故意に死罪に問うが、楊翠屏の助命嘆願により赦免。
  • 11冊
    • 〇白鶴童子、斉眉山に串山道人の助勢を請う途上、金碧風に捕まる。毛遂、白鶴童子を解き放ち、金碧風が追跡に向かった隙に、金蛇吐燕を盗む。金碧風、白鶴童子を追って斉眉洞に至るも、串山道人の量天尺に敵せず退く。金碧風、復讐のために牧羊関に。竇一虎、王禅・王敖を激して下山させる。馬霊聖母、白猿を遣わす。王禅・王敖、截仙陣に陥るが、毛遂、南極教主の仙丹を届け命脈を保つ。南極教主、元始天尊より太極図を預かる。
  • 12冊
    • 〇彩霞・碧霞、金刀聖母の助勢を請う。元始天尊、仏祖に金翅鳥収服を依頼。玉帝、李靖・二郎神・哪吒・孫悟空らを差し向ける。孫悟空、術比べの末、金碧風(大鵬金翅鳥)を捕らえる。毛遂、敵陣に忍び込み、白霊子の法書・雲牌を盗む。蘇文、金香子と結ばれる。唐軍・諸仙、陣を攻め、毛遂、四門の宝剣を盗む。南極教祖、太極図で四門の妖狐、白霊子を討ち取る。驪山聖母、三昧神火で白納真人を討ち取る。樊梨花、花面狼を討ち取り、蘇海を走らせ、牧羊関を落とす。
  • 13冊
    • 〇蘇海、鉄板真人の助勢を請う。鉄板真人、竇一虎を破り、姜須を鉄板で討ち取る。竇一虎、敵陣に忍び込み、鉄板真人の宝貝を盗む。樊梨花、仙丹で姜須を救い、鉄板真人を破る。
    • 〇唐軍、蘆花関を攻め、竇一虎、洪飛虎を破る。洪飛虎の娘、洪素梅、仙袋で薛丁山を捕らえ、同じく洪素蘭、竇一虎を破る。樊梨花、洪素梅と戦うも敗れる。
  • 14冊
    • 〇洪素梅・洪素蘭、薛丁山をめぐり仲違い。薛丁山、竇一虎の計略に従い、洪素梅との婚姻を偽ってともに帰陣。樊梨花、洪素梅を斬る。唐軍、洪素蘭・洪飛虎らを討ち取り、蘆花関を落とす。
    • 〇鉄板真人・青蛟竜姑、蘆花関に攻め寄せ、薛丁山、青蛟竜姑の臭口気に吹き飛ばされる。鉄板真人・青蛟竜姑、樊梨花に敗れ、叩仙鉢で蘆花関の皆殺しを図る。
    • 〇薛丁山、九天玄女の弟子・金玉蓮に救われ、次妻とする。竇一虎、串山道人の助勢を請う。
  • 15冊
    • 〇串山道人、広成子の助勢を請う。胡越王、雲霞に十万の軍勢を授ける。広成子、翻天印で叩仙鉢を打ち破り、青蛟竜姑を走らせる。串山道人、鉄板真人を走らせ、樊梨花、青霞道人を退ける。
    • 〇青蛟竜姑、青霞道人の軍に投ずる。薛丁山、金玉蓮とともに陣営に帰還。樊梨花、聚魂笄・消魂鑼により人事不省に。金玉蓮、雲に乗って敵陣に忍び込み、法宝を破壊する。
  • 16冊
    • 〇青蛟竜姑・青霞道人、悪鬼陣を布く。姜須、悪鬼陣に入り落命。竇一虎・樊梨花、黄石公・驪山聖母の助勢をそれぞれ請う。懼留孫、竇一虎の子、竇希介を下山させる。太乙真人、薛丁山の子、薛猛を下山させる。彩霞・碧霞、地蔵王菩薩の助勢を請う。地蔵王、玉帝に天将・天兵の派遣を要請。
    • 〇樊梨花、悪鬼陣を総攻撃。青蛟竜姑・雲霞を捕らえ、蘇海、自尽する。西涼王、降表を献じ、唐軍、凱旋する。

西唐故事の影巻としては、『俗文学叢刊』第200冊に収録される『前鎖陽』五巻が最も古く、樊金定・薛景山母子の鎖陽関救援など『三皇宝剣』伝奇と同様の内容が主体となっており、嘉慶・道光年間の成立であると推測される。最後の五巻では、薛丁山と樊梨花のなれそめと一休樊梨花を扱っているが、残念ながらそこで途切れている。

『鎖陽関』は『前鎖陽』といささかストーリー展開が異なっているが、歌詞には共通する部分もあるので、『前鎖陽』が継承される過程でさまざまに改変されたものであろう。

そうした改変の痕跡も見られる。5冊では、樊梨花に斬られた妖道・黄羊子の仇を討つため、妹の黄紅霄・黄雲霄が下山して魏奔の軍に加わり、七箭法を用いるが、以下のような科白がある。

竇金蓮よ、竇金蓮、お前は今日、我が手の内にあり、お前の命脈の尽きる時だ。*3

黄羊子を斬ったのは樊梨花だが、竇金蓮が復讐の対象になっている。また、『三皇宝剣』故事で活躍する薛景山・竇金蓮夫婦は、截仙陣を破った後、牧羊関の守備を任されて、物語から完全に消え去ってしまう。

7冊で竇一虎は、三皇宝剣の借用に派遣される。

さきに金冠李道符を斬ったが、その後、大仙人が勅命により交替で見張っている。*4

李道符は『三皇宝剣』伝奇で活躍する敵の軍師である。『三皇宝剣』は四本以降が失われているが、内府本『西唐伝』・影巻『前鎖陽』には竇一虎が彼を三皇宝剣で斬る場面がある。

これらは、『三皇宝剣』故事の影巻と、旧西唐故事の影巻を合併させた際に、エピソードの取捨選択・移動・書き換え、さらには追加などが行われたことを物語っている。

こうした点に留意する必要があるものの、影巻『前鎖陽』・『鎖陽関』のうち『三皇宝剣』伝奇と重ならない部分は、先行する旧西唐故事の影巻を継承したものである蓋然性が高い。さきのあらすじで、行頭に「〇」を付けたのがそうした部分である(「×」は『三皇宝剣』伝奇系の部分)。

このうち薛仁貴が陥れられる、出征して鎖陽関に包囲される、薛丁山が救援する、という冒頭部は、明代の『金貂記』伝奇に遡る西唐故事の最も古い部分である。『金貂記』では薛丁山が鎖陽関で包囲された薛仁貴の救援に赴いており、内府本『定陽関』・『西唐伝』頭段、小説『説唐三伝』などでも、薛丁山は援軍を求めて長安に帰還した程咬金とともに救援に赴いている。一方、影巻『鎖陽関』の薛丁山は、鎖陽関よりも前の界牌関で薛仁貴に合流するが、これは『三皇宝剣』故事の樊金定らによる鎖陽関救援との重複を避けて書き換えたものだろう。

問題になるのはこれ以降の部分である。西唐故事の諸テキストでは、鎖陽関での戦いが数次にわたって繰り広げられているが、エピソードの排列や、戦いの相手などに相違がある。これは旧西唐故事と『三皇宝剣』がいずれも鎖陽関を攻防の舞台としており、両者を合併させた際にテキスト間で整理統合の方法が異なったことに起因しよう。特に、あらすじで「△」を付けた部分は、編集の痕跡が見られる部分であり、旧西唐故事と『三皇宝剣』伝奇の失われた四本以降のどちらに由来するのか、あるいは皮影戯のオリジナルであるのか判然としない。

このため、旧西唐故事の内容を完全に復元することは難しいが、しかし扱われていたエピソードやキャラクターについては、諸テキストを比較検討することである程度解明できよう。

京劇『鎖陽城』をめぐって

京劇『鎖陽城』の概要

清代の西唐故事の戯曲に、京劇『鎖陽城』がある。『三皇宝剣』故事を扱った部分が残っていないため、筆者の従来の研究では取り上げてこなかったが、旧西唐故事を考察する上では欠くことのできない資料である。

京劇『鎖陽城』は『俗文学叢刊』第304冊pp.261-319に収録され、p.291には「鎖陽城十二本」と見えるので、本来は長大な連台本戯であったうちの、十一本・十二本だけが現存していることがわかる。またp.319には「丁亥七月二十日記」と見える。清代後半の丁亥年は道光七(1827)年あるいは光緒十三(1887)年である。『鎖陽城』は『京劇劇目辞典』等に採録されていないことから分かるように、清末時期にほとんど演じられていなかったと思われ、また時代を下るにつれて上演頻度の下がる連台本戯であることから、道光七年鈔本である蓋然性が高い。長短句の曲牌は見えず、完全な板腔体スタイルであるが、調名・板式は記されない。歌詞はほぼ全てが七言である。

各本のあらすじは以下のようになる。

  • 第十一本

    闘戦勝仏孫悟空は金碧峰に景陽鐘を被せられ進退窮まる。南極教主は四方掲諦を使役するが鐘は持ち上がらず、毛遂は土遁で救おうとするが失敗する。孫悟空の言に従い崑崙山の媧比老祖の助力を請い、ようやく救出に成功する。孫悟空は金鐘が勝会で如来が用いる宝鈴であると聞いて雷音寺に怒鳴り込む。接引仏は調査して大鵬金翅鳥が盗み出したと知り、孫悟空と共に鎖陽関に向かい、大鵬金翅鳥を捕らえる。

  • 第十二本

    太宗は宴席を催し、諸神仙の功績をたたえる。蘇海は陣を引き払い本国に引き揚げる。崑崙山の玉石琵琶の精・李翠、下山し、西涼の粉紅江の守将・金峰の配下に身を投じる。粉紅江に攻め寄せた唐軍を迎え撃ち、馬忠・段賢・竇(原文は豆)金蓮・薛景山らを討ち取るが、仙人・孫臏の五雷に敗れ原形をあらわす。

第十一本には蘇海が登場して、金碧峰に二人の美女をあてがって功を労うが、最後の戦いの場面は、神仙が大鵬金翅鳥を降す様子のみが描かれ、唐軍と蘇海との戦いが描かれない。

第十本以前の内容であるが、『鎖陽城』第十二本の金碧峰を破った接引仏・孫悟空らの功を祝う宴席の場面で、唐太宗はそれまでの経緯を以下のように唱う。

蘇海は牢籠計を定め、鎖陽城に唐兵を囲む。幾つの難儀にあったものか、哀れ諸将は禍を受けた。竇(原文は豆)一虎が三皇剣を盗み取り、道符は刺し殺された。*5

竇一虎が三皇剣を盗み出して李道符を討ち取るという、『三皇宝剣』系の内容が語られている。

また第十二本のト書きに以下のように見える。

茂公 仁貴 丁山 景山 羅章 豆一虎 青山 姜胥 程通 秦猛 強竜 強虎 馬忠 段賢 豆金蓮 蔣翠屏 李蘭英 洪月娥 八小軍 二太監 一傘夫引王上(p.311)

軍師徐茂公(李勣)、薛仁貴、薛丁山ら以外に、『三皇宝剣』系の人物も多く見られる。薛景山と竇金蓮夫婦、その部将の強竜・強虎などである。蔣翠屏も『三皇宝剣』に見える竇一虎の妻である。羅章と李蘭英(北京・冀東皮影戯、梆子戯などは李月英に作る)・洪月娥夫婦の結婚は、失われた『三皇宝剣』四本で演じられていたと推測される*6

一方、姜胥、すなわち姜須が見えるが、彼は小説『説唐三伝』や『三皇宝剣』伝奇には登場しない、旧西唐故事の指標的人物である。ゆえに、京劇『鎖陽城』も、旧西唐故事と『三皇宝剣』故事を合併し整理したものであるとわかる。

京劇『鎖陽城』では、敵方について「西夏」・「寧夏」・「甘州」などが使われているが、これらは地名であると思われ、国名としては「西涼」のほかに「呉越」が使われている。

ひとえに呉越が反意を起こしたがために……*7

呉越王がそれがしを将に拝したならば、大唐の君臣は鎧のカケラすらも逃がさぬものを。*8

それがし金鋒。甘州呉越王の家臣であり、粉紅関を鎮守している。*9

内府本『西唐伝』・影巻『鎖陽関』に胡越王と見える、と引くまでもなく、呉越は明らかに胡越の誤りであり、本来、国名乃至地名ではない。これは、胡と呉の音が近く、また呉越という語があることから生じた混同であると思われる。

以下では、旧西唐故事検討の端緒として、京劇『鎖陽城』を他のテキストと比較・検討してみたい。

玉石琵琶精・李翠

現存する『鎖陽城』二本は、内府本『西唐伝』六段との共通点が多く見出せる。

『鎖陽城』第十二本に見える李翠は、以下のように名乗る。

我こそは崑崙山の玉石の精である。*10

李翠に勝利した後の孫臏のセリフに以下のように見える。

〔孫いう〕なんと玉石琵琶であったか。*11

一方、『西唐伝』六段第五出「李翠誇英」の李翠の登場場面のセリフは以下の通りである。

 白石の琵琶 是れ我が身、三皇の治世 首の霊文。

 長く呑むは日月光華の気、修煉 千年 道法深し。

われこそは李翠。石の性にて堅剛、日月精華の気を受けて、千年修煉し、長生を保つ道法をよくする。凡心が動き、栄華・富貴を享受せんと、印を掛けて兵を率い、西戎の将帥を統括する。李道符がみまかり、彼の仇に報いるものがないため、祖師・金碧峰の命を受けて山を下り、胡越王の配下に身を投じた。かたじけなくも国主は、我を元帥に任じ、粉紅関を守らせた。*12

いずれも李翠を、石琵琶の精であるとしている。李翠が守備するのが粉紅関である点も共通している。

一方、『鎖陽城』の李翠は、金碧峰が敗れた後に登場するが、『西唐伝』六段では上の引用に見えるように、李道符の仇討ちのために金碧峰の命を受けて唐軍に挑戦している。また、影巻『鎖陽関』に李翠は登場せず、金碧峰(原文は風)は牧羊関で唐軍と対峙する。こうした差異は、旧西唐故事と『三皇宝剣』故事とを合併する際に、テキストによって処理方法が異なったことに起因しよう。

ところで、『鎖陽城』で粉紅関の主将・金鋒は以下のように名乗る。

それがしは金鋒である。甘州呉越王御前の臣で、粉紅江を守備しておる。さきに二人の息子に命じ、糧秣十万を蘇元帥の本営に届けさせたが、はからずも羅章に奪われてしまった。*13

金鋒は『西唐伝』六段第五出にも見えるが、粉紅関の李翠の元に救援として派遣された元帥、ということになっており、以下のように語る。

二人の息子、山柱・山樑が、糧秣を護送しましたが、途中で唐の将軍に奪われ、また唐の羅章に討ち取られたために、国主はたいそうなご立腹、それがしに元帥とともにこの関を守るよう、命じられた。*14

羅章が糧秣を奪うくだりは、五段第一出「劫糧大戦」に描かれている。一方『三皇宝剣』三本第三齣で、羅章は蘇海と戦い敗れるが、清虛真人が風神に命じて、李蘭英・洪月娥と娶せるべく飛竜山に吹き飛ばすことになっており、糧秣を奪う話は出てこない。また、影巻『前鎖陽』にも見えない。

そもそも『西唐伝』で羅章は、名も分からぬ女将二人を連れてくるよう軍師・徐茂公に命じられて単騎、蘇海が囲む城外に出撃させられたのにも関わらず、敵陣を突破した後に糧秣を強奪している。舞台上では4人の郎党が敵から奪った車旗を持って退場するという虚実の表現で、大量の糧秣の強奪を破綻なく処理できようが、いささか展開に無理があることは否めない。

京劇『鎖陽城』第十二本で、李翠は『三皇宝剣』故事系の人物である、薛景山・竇金蓮らをまとめて討ち取っている。これは『三皇宝剣』故事を薛景山・竇金蓮らの登場しない旧西唐故事と合併させたことで生じた矛盾の処理を、いささか強引に行ったものであろう。影巻『鎖陽関』の薛景山・竇金蓮らが、金沙陣を破った後、突然姿を消してしまうのと対照的である。

以上から、羅章の糧秣強奪、それと呼応する粉紅関の金鋒および李翠は、『三皇宝剣』故事と旧西唐故事を合併した際に、後半の樊梨花を中心に展開する物語との整合性を取るための人員整理の必要上から付け加えられたと考えられる。内府本『西唐伝』では、薛景山・竇金蓮らが陣没せずに最後まで活躍するので人員整理の必要はなく、李翠は諸将によって弱点を暴かれて討ち取られることになっている。

京劇『鎖陽城』と内府本『西唐伝』の内容に共通点が多いのは、京劇『鎖陽城』が内府に由来するテキストで、『西唐伝』を参照したからであるとも考えられる。しかし李翠による『三皇宝剣』系人物の整理、次項で検討する金碧峰と孫悟空の戦いは『西唐伝』に見えない要素であるので、両者に直接の継承関係を想定するのは難しい。両者が旧西唐伝と『三皇宝剣』とを合併させた、同系のテキスト(通俗伝奇)に基づいていると考えるべきである。

金碧峰と孫悟空

京劇『鎖陽城』第十一本では、鎖陽関攻防戦の掉尾として、孫悟空ら神仙が金碧峰と戦うが、影巻『鎖陽関』11・12冊でも、南極仙翁・孫悟空・毛遂らが活躍して、金碧峰(原文は風)を降すストーリーが演じられる。

京劇『鎖陽城』第十一本では、金碧峰の正体について、孫悟空の問いに対して接引仏が以下のように語る。

〔接〕その宝物庫は孔雀明王仏の管轄で、今しがた子細に調べましたところ、如来の金鐘一つ、千仏袈裟一着﹑綑仙縄三十一本﹑鉢一つ、桃径竹竿一本がなくなっておりました。〔悟〕へへっ、よかろうよかろう、誰が盗んだのだ。〔接〕宝物を盗んだのは、孔雀明王の弟の大鵬金翅鳥です。*15

影巻『鎖陽関』でも、金碧峰の正体は大鵬金翅鳥で、11冊で白鶴仙童を追いかけ、斉眉山の串山道人に敗れた腹いせに、西涼軍に身を投じ、12冊では元始天尊が仏祖に金翅鳥収服を依頼して李靖・二郎神・哪吒・孫悟空らが派遣され、孫悟空が術比べ(『西遊記』の二郎神との術比べの焼き直し)の末に勝利を収めている。

金碧峰が唐軍に挑戦した場所であるが、京劇『鎖陽城』では第十二本の神仙の功績をたたえる場面の太宗の歌詞に以下のように見え、鎖陽関であると知れる。

呉越が二心を懐いたがため、蘇海が定めしは牢籠の計。鎖陽城内に唐兵は囲まれ、幾多の難儀に遭いもうした。……碧峰は怒りて山を下り、唐将はことごとく虜とな る。*16

これに対して影巻『鎖陽関』では、鎖陽関から更に進んだ牧羊関が舞台となっている。

内府本『西唐伝』六段第五出では、前に引いたように、李翠のセリフに金碧峰が見えるほか、頭段第七齣で、李道符が金碧峰に師事したと語っているが、現存する『西唐伝』の各段に金碧峰は登場していない。六段で李翠は金碧峰が討たれたと言っていないので、それより後、現存しない八段に金碧峰が登場していた可能性はあるものの、七段・九段の内容からすると八段では薛丁山と樊梨花との出会いが演じられていたと思われ、金碧峰が登場する余地はない。

一方の孫悟空であるが、京劇『鎖陽城』では闘戦勝仏と呼ばれており、影巻『鎖陽関』でも玉帝によって李天王・二郎神・哪吒らとともに派遣されているので、いずれも取経の旅を終えた後に設定されている。

ところで、この二人は小説『説唐三伝』にも登場する。金碧峰は金璧風に作っており、金山逍遥宮に住まう「教主」である。征西の終盤第六十五回で、蘇宝同とその師である李道符に請われ、諸仙を率いて下山する。第六十六回が「仙翁触動截教主」と題するように、截教の教主という位置づけであり、『封神演義』の通天教主に相当するキャラクターとなっている。

諸仙群会陣を布いて唐軍に挑戦するが、かつて小雷音寺で孫悟空を苦しめた黄眉童子が弥勒仏の留守中にまたしても下界に下って金璧風配下に身を投じており、第六十七回で唐軍が諸神仙とともに陣に攻め寄せると、如意乾坤袋に唐側の将軍・神仙の大半を収めてしまう。ところが、西天からの帰途にあった三蔵法師一行がそれに巻き込まれ、逃げ出した孫悟空が雷音寺に急行して弥勒仏を伴って舞い戻ると、黄眉童子は帰服し、孫悟空の登場に恐れをなした金璧風と李道符は雲を霞と逃げ去る。このため、金璧風の正体は描かれていない。

孫悟空が雷音寺に救援を求めに行く、という点は京劇『鎖陽城』・影巻『鎖陽関』と共通しているが、『西遊記』第六十五回さながらの手強さを発揮するのは黄眉童子であり、金璧風は竜頭蛇尾に終わっている。

成立年代からすると、嘉慶・道光頃の京劇『鎖陽城』や影巻よりも乾隆年間の『説唐三伝』の方が古いが、三休樊梨花と同様に、金碧峰こと大鵬金翅鳥を孫悟空の活躍で降すというのが古い形態であり、それを元に『説唐三伝』が、神仙の降臨を請うて敵陣を破るパターンの連続に変化をつけようと、孫悟空が取経の帰途に巻き込まれるというアレンジを加えたと考えるべきである。

その傍証となるのが山西省孝義の皮腔紙窓皮影戯の「鎖陽関」である。金碧峰(金壁風に作る)との戦いを描いているが、登場場面で以下のように名乗る。

やつがれは金壁風である。もとは仏の御前の金色大鵬雕が下界に下ったもの。唐王が軍勢を率い金斗鎖陽関で景色を眺めておるので、山を下って兵を用いて鎖陽関を取り囲むとしよう。*17

その正体は金色大鵬雕とされているが、これは大鵬金翅鳥のことであろう。薛天保(丁山)、王超(王禅であろう)・王敖、孫臏らを退けるが、取経から帰ってきた三蔵法師が鎖陽関で太宗に復命し、孫悟空・猪八戒らが金碧峰を降す。

孝義の皮腔皮影戯は、清末光緒年間に陝西から碗碗腔皮影戯が伝播する以前から演じられていた皮影戯劇種で*18、比較的古い層の物語が保存されていると思われる。金碧峰の正体や、王禅・王敖・孫臏らが登場する戦いの経過などは、影巻『鎖陽関』や京劇『鎖陽城』と通じている。旧西唐故事には、大鵬金翅鳥・金碧峰が孫悟空の活躍に降されるというエピソードが存在していたと見てよかろう。

なお、孝義皮腔皮影戯では、戦いの場面で孫悟空と猪八戒の掛け合いが繰り広げられる。おそらく、そうした場面を演じたいがために、あるいは『説唐三伝』の影響を受けつつ、三蔵が太宗に復命するという形に改めたのであろう。

ところで金碧峰といえば、小説『三宝太監西洋記』の同名の登場人物が想起される。『西洋記』の金碧峰は燃灯古仏の化身であり、鄭和を守護して西洋遠征を成功させるなど、『西遊記』における孫悟空さながらの活躍を見せる。それが西唐故事で、大鵬金翅鳥の化身で強力であるとはいえ、敵役として登場し孫悟空と戦うのには、何らかの意図があったのかもしれない。

鎖陽関と薛丁山の妻

影巻『鎖陽関』の金玉蓮

小説『説唐三伝』の薛丁山は、竇仙童・陳金定・樊梨花の三人の妻を娶っているが、内府本『西唐伝』、影巻『前鎖陽』・『鎖陽関』などには竇仙童と陳金定が登場しない。とはいえ薛丁山の妻は、樊梨花一人というわけでもない。

影巻『鎖陽関』14冊には金玉蓮が登場する。登場場面で彼女は以下のように言う。

わらわは金玉蓮。金成の娘。母を早くに失い、兄弟姉妹は一人もおりませぬ。幼い頃より仙人に見込まれ、九天玄女娘娘を師に拝し、学ぶこと三年、刀馬に熟達し、さまざまな異術を覚えました。*19

西唐故事のみならず、清代の英雄伝奇的物語によく見られるタイプの女将キャラクターである。

彼女は、蘆花関で青蛟竜姑に吹き飛ばされ、屋敷の後花園に落ちてきた薛丁山を救う。ひとかどの人物であると見て父の金成が娘との縁談を持ちかけるが、薛丁山に既婚であると言われて窮するところ、玉蓮は窓の外から父に入れ知恵する。

父さまよ、妻がいたから何だというのです。一夫二妻も良くあることです。*20

そして、下山に際して九天玄女より与えられた、二人の宿縁を記した書き付けを示され、薛丁山は結婚を承諾する。二人は蘆花関に向かい、樊梨花は薛丁山を軍規違反で斬ろうとするものの、金玉蓮に取りなされて赦免する。

その後は、敵の術に魂魄を吸い出された樊梨花・太子(高宗)が倒れたところ、金玉蓮が空から敵陣に舞い降りて聚魂笄・消魂鑼を破壊して事なきを得るなど、征西の最終局面で活躍する。

これまで参照してきた西唐故事の伝奇は、ここまでの範囲をカバーしていない。ではこれが北京・冀東皮影戯のオリジナルかというと、そういうわけでもなさそうである。

伝統劇・芸能における薛丁山の次妻

薛丁山の次妻については、北京・冀東皮影戯のみならず、他地域の伝統劇や伝統芸能にも扱ったものが散見される。

蒲州梆子「破連城」は以下のような筋立てである。

薛丁山が金家山で嫁を取ったことを知った樊梨花は、ただちに蔣戌に命じて薛を帰陣させ、本営の前で薛丁山の斬罪を決した。金家山寨主の金秀英は夫が縛られ斬罪に問われると知り、救助に駆けつけた。樊梨花は礼をもって迎え、臨月であることを口実に、元帥の印綬を秀英に譲ると偽り、その心を推し量ろうとした。金は印綬を受け取って兵権を手にすると、梨花に廉竜と戦い連城を落とせ、負けたならば必ずや斬り捨てると命じ、同時に薛将軍を赦免した。梨花は印綬を渡すべきでなかったと悔やんだが、やむなく命に従って連城を攻め、ついに連城を破った。梨花は帰陣して手柄を求めた。秀英は彼女と手柄を争った。薛丁山が出てきて説いて聞かせ、お前でも彼女でもなく、われら薛家の手柄であるとした。徐策は大いに喜び、一同を宴席に招いた。*21

薛丁山の次妻として金秀英が登場している。影巻『鎖陽関』の金玉蓮と姓が同じである。興味深いのは蔣戌なる人物で、これは姜須が訛ったものであると思われる。姜須は前述のように小説『説唐三伝』や『三皇宝剣』伝奇に見えない、旧西唐故事特有の人物であるので、蒲州梆子「破連城」は旧西唐故事の流れを汲むと推測できる。

蒲州梆子、すなわち蒲劇は、山西省南部河東地域の地方劇であるが、梆子腔系地方劇の中では、陝西の同州梆子などと並んで起源が最も古いとされる。このため、十八世紀末から十九世紀初頭の比較的古い層の物語が残ったのだろう。

一方、上党落子「反西唐」では、薛丁山の妻は四人になっている。

陳金定 平東侯陳金定。

竇仙童 平南侯竇仙童。

薛金蓮 平西侯薛金蓮。

靳秀英 平北侯靳秀英。

陳金定 女将の方々聞かれよ。梨花が元帥となり、われらに帳下で指示を聞けとのこと。……

樊梨花 武英侯樊梨花。*22

上党落子は黎城落子とも呼ばれ、道光十七(1837)年から二十(1840)年にかけての凶作で、河北省武安市一帯から隣接する山西省黎城県に流入した移民により始められた芸能に起源し、山西省の東南地域を中心に行われている。咸豊年間にかけて次第に演劇に発展しているが、その過程で武安落子の強い影響を受けている*23

「反西唐」は、楊藩の弟・楊丹が攻め寄せるところ、薛金蓮が兄の薛丁山と語らって樊梨花を害そうとするが失敗し謝罪する、といった内容である。ここでは、『説唐三伝』に見える陳金定・竇仙童・樊梨花のほか、薛丁山の妻として靳秀英が登場しているが、蒲州梆子「破連城」に見える金秀英の金が靳に訛ったものであろう。

上党落子の例は、二人の妻を持つという物語が定着していたところに、後から三人の妻という『説唐三伝』系の設定が被さり、金(靳)秀英の存在を無視できなかったため、四人にすることで整合性を取ったものと思われる。

以上のように、薛丁山が二人の妻を持つという物語が残されているのは、北京・冀東皮影戯に止まらない。これらも、旧西唐故事の残滓であると解釈するのが妥当であろう。

三休樊梨花と鎖陽関

以前に論じたように、薛丁山によるいわゆる三休樊梨花は、『説唐三伝』と旧西唐故事とでその展開や動機に相違が見られるが*24、鎖陽関攻防戦との前後関係についてもテキスト間で食い違っている。

影巻『前鎖陽』五巻で、薛丁山は鎖陽関で黄洋子と戦い、吹き飛ばされて寒江関の樊家の後花園に落ちたところを樊梨花に救われて結ばれるが、嫁取りにやってきた楊凡が許嫁であると知って立ち去る。影巻『前鎖陽』はここで終わっているため、二休・三休の展開は不明であるが、鎖陽関をめぐって薛丁山と樊梨花が出会っている。

一方、影巻『鎖陽関』では、寒江関で薛丁山と樊梨花が結ばれ、牛頭関で楊凡と対戦した薛丁山が別れを告げる(一休)。次いで函谷関で敵の妖術に落命した薛丁山を樊梨花が仙薬で救うが、目覚めた薛丁山は樊梨花を受け入れない(二休)。更に鎖陽関で黄洋(羊に作る)子の妖術に落命した薛丁山をまたしても樊梨花が仙薬で救うが、やはり薛丁山は受け入れない(三休)。そして元元老祖が鎖陽関に布陣した金沙陣を破るために、三請樊梨花することになる。以上のように一休・二休はいずれも鎖陽関以前に設定されており、三度目だけが鎖陽関で展開する。

旧西唐故事と『三皇宝剣』故事は、いずれも鎖陽関を主要な舞台としているので、単純に両者をつなぎ合わせると、当然のことながら鎖陽関の攻防が長大化・複雑化してしまう。それゆえに『鎖陽関』は三休樊梨花を分散させたと思われるが、『前鎖陽』の段階ではそうした対処がなされていない。つまり、旧西唐故事においては、三休樊梨花の全ての過程が鎖陽関の攻防の中で発生していたと推定できる。

内府本『西唐伝』で、薛丁山と樊梨花の出会いは鎖陽関の攻防が終了した後に置かれている。また京劇『鎖陽城』の残存する部分には樊梨花が登場しないので、三休・三請樊梨花のうち、少なくとも最後の三請樊梨花は、粉紅関の後に置かれていたことになる。これらも、旧西唐故事と『三皇宝剣』故事との合併に伴い、鎖陽関の場面の煩雑化を避けるための処理であろう。その際に、三休樊梨花を全て鎖陽関後に置く『説唐三伝』が参照された可能性はある。

さて、三休樊梨花が鎖陽関で展開していたとするならば、鎖陽関をめぐる戦いが数次にわたって繰り広げられ、薛丁山がたびたび危機に陥り樊梨花に救援を求めていたはずである。しかし、内府本『西唐伝』では三休樊梨花が扱われず、影巻『前鎖陽』も一休までで途切れているし、その流れを汲む影巻『鎖陽関』の鎖陽関をめぐる部分は相当に整理・書き換えが為されている。このため、旧西唐故事における鎖陽関をめぐる攻防の展開は推測し難い。

前述のように金碧峰と孫悟空の戦いは、鎖陽関で展開していたが、京劇『鎖陽城』・孝義皮腔皮影戯「鎖陽関」、いずれも樊梨花が登場しておらず、三休樊梨花との関連性は見出せない。一方、影巻『鎖陽関』では、鎖陽関の次に牧羊関が主戦場になり、そこで金碧峰との戦いが繰り広げられる。鎖陽関での戦争の連続を避けるための処置であると思われ、その整理のために牧羊関が設定されたのであろう。

小説における薛丁山の妻たちの変遷

旧西唐故事の存在をふまえると、小説『説唐三伝』で薛丁山が竇仙童・陳金定・樊梨花の三人の妻を持つに至った経緯が見えてくる。

小説で薛丁山の妻が初めて見えるのは『混唐後伝』である。『混唐後伝』は「竟陵鍾惺伯敬編次、温陵李贅卓吾参訂」と題する。全三十七回であるが、巻首第一回から第五回の後に、巻一第一回が改めて始まるという、いささか奇妙な構成になっている。現存するのは清刊本で、明代の成立とする説もあるが、その序は褚人獲の『隋唐演義』序を襲っているので、康熙末から乾隆初の成立であると思われる。

『混唐後伝』は巻首の第二回から巻一の二回で薛仁貴・薛丁山の征西を描いている。その他の部分は則天武后を扱っており、文言は『隋唐演義』とほぼ一致する。

巻首第五回で、薛丁山は蘇保童の伯母・蘇金定の矢に当たり、逃走の末、陳家の屋敷に逃げ込む。遅れてきた蘇金定はそうとは知らずに陳家に酒食を求めるが、陳公の娘の陳金定がそれを闇討ちにして、薛丁山と結ばれる。

『異説征西演義全伝』は、中都逸叟原本、徇荘主人編次と題し、乾隆十八(1753)年序刊本が現存する。内容は『混唐後伝』とほぼ同じであるが、巻首が無くなり、全四十回に改められており、征西の部分が若干改められている。

第六回には樊梨花が登場する。棋盤山で山賊をしており、鎖陽関に救援に向かう薛丁山を捕らえて結婚を約して従軍し、第八回では敵軍の烈焰陣を打ち破る活躍を見せる。最終的には凱旋した後、陳金定とともに薛丁山と結婚する*25

姑蘇如蓮居士による『説唐三伝』は、『説唐』系列小説であり、乾隆年間後期に成立したと思われる。そこでは、あらたに棋盤山の山賊として竇仙童が登場し、三休樊梨花が描かれるようになる。これは、先行する『異説征西演義全伝』を踏襲しつつ、旧西唐故事の三休樊梨花という要素を導入した結果であると考えられる。すなわち、樊梨花の登場する場所が寒江関に変更された結果、棋盤山のエピソードの主役が欠けてしまい、そこで新たに竇仙童というキャラクターを作り出して穴を埋めたのであろう。

『説唐三伝』では、三人の妻が登場しながら樊梨花の活躍ばかりが目立ちいささかバランスを欠いているが、それはかかる経緯が影響しているのだろう。このことはまた、旧西唐故事の成立が、乾隆年間中葉である可能性を示唆している。この点については、稿を改めて検討したい。

おわりに

本稿では、西唐故事の各種演劇・芸能のテキストを比較検討することで、旧西唐故事が、金碧峰と孫悟空の戦いを扱っていたこと、薛丁山の次妻として金氏が登場していたことなどを明らかにした。以前に明らかにしていた、姜須の登場、三休樊梨花の経過の相違などと合わせて、北京とその周辺地域である河北・山西などに旧西唐故事が行われていたことが改めて確認できた。

西唐故事を扱った演目は、従来の伝統劇・芸能の劇目辞典で「物語は『征西演義』に見える」などと一応書かれているが、物語の由来がよく分からないものが多かった。伝統劇・芸能が歴史的に積み重ねてきたレイヤーを解明し、そうした演目を位置づける上で、旧西唐故事という指標は有効であると考える。

また、小説『説唐三伝』が先行する小説および旧西唐故事を吸収しアレンジすることで成立していることも、孫悟空の登場や薛丁山が三人の妻を持つに至った過程の検討を通じて初期的に解明できた。従来、乾隆期の英雄伝奇小説の具体的な形成過程は必ずしも明らかになっていなかったが、当時最大の演劇市場であった北京において形成された通俗伝奇がそれらの形成を促していたのであり、かかる通俗伝奇の一端を現代に伝えるものとして北京・冀東皮影戯影巻が資料的価値を持つことが改めて裏付けられた。本稿、および従来の研究をふまえて、西唐故事の変遷過程をまとめたのが右図である。

西唐故事変遷模式図

一方、旧西唐故事の全貌を、筆者はまだ明らかにし得ていない。影巻『鎖陽関』は牧羊関の後、蘆花関での一連の戦いを経て西涼が帰服するまでを描いているが、その範囲が全て旧西唐故事に含まれていたのかは、他に比較対照できる資料が得られていないため、判断が難しい。さらに李翠のように、旧西唐故事と『三皇宝剣』故事が合併した後に生まれたと思われるエピソードもあるので、状況はかなり複雑である。

こうした点については、伝統演劇・芸能資料の更なる調査・収集および分析を積み重ねて、解明していく必要があろう。

※本稿は日本学術振興会科学研究費補助金「中国古典戯曲の「本色」と「通俗」~明清代における上演向け伝奇の総合的研究」(平成29 ~令和2年度、基盤研究(B)、課題番号:17H02327、研究代表者:千田大介)、および「近現代中華圏における芸能文化の伝播・流通・変容」(令和2年度、基盤研究(B)、課題番号:20H01240、研究代表者:山下一夫)による成果の一部である。

参考文献一覧

  • 『三皇宝剣』存三本、中国芸術研究院図書館所蔵抄本
  • 『定陽関』一本、『中国国家図書館蔵清宮昇平署檔案集成』(中華書局、2011)所収抄本
  • 『西唐伝』
    • 頭段・二段・五~七段・九段:『中国国家図書館蔵清宮昇平署檔案集成』(中華書局、2011)所収抄本
    • 四段:『故宮博物院蔵清宮南府昇平署戯本』第39冊(故宮博物院編、紫禁城出版社、2015)所収抄本
  • 京劇『鎖陽城』存二本、『俗文学叢刊』第304冊(新文豐出版、2014)所収抄本
  • 影巻『前鎖陽』存五巻、『中国俗文学叢刊』第200冊(新文豐出版、2012) 所収抄本
  • 影巻『鎖陽関』全16冊、遼寧省凌源市郭永山氏旧蔵、1980~82年抄本、中国都市芸能研究会所蔵抄本
  • 『混唐後伝』三十七回、竟陵鍾惺伯敬編次、温陵李贅卓吾参訂、『古本小説集成』所収大連図書館所蔵芥子園刊本
  • 『異説征西演義全伝』四十回、中都逸叟原本、徇荘主人編次、UCバークレー東アジア図書館所蔵乾隆十九年積秀堂刊本
  • 『説唐三伝』八十八回、姑蘇如蓮居士、『古本小説集成』所収河東師範大学図書館所蔵経文堂刊本
  • 《中国戏曲志山西巻》文化艺术出版社、1990
  • 黎城县志编篡委员会办公室  1999《上党落子传统剧目集成》、山西古籍出版社、1999
  • 马明高主编、朱文执行主编  2014《孝义皮影木偶传统剧本集成》、三晋出版社
  • 杜波、行乐贤、李恩泽  1989《蒲州梆子剧目辞典》、宝文堂出版社
  • 柴崎公美子
    • 2014「薛丁山の小説と清朝宮廷演劇―劇本の比較を中心に」、『中国古典小説研究』第18号、pp.83-99
    • 2014「清朝宮廷演劇における「薛丁山」物語の受容 : 「金貂記」物語の変容を通じて」、『日本アジア研究』11、pp.201-220
  • 千田 大介
    • 2019「北京皮影戯西唐故事考――「大罵城」と『三皇宝剣』伝奇を軸に――」、『中国都市芸能研究』第十七輯、pp.91-151
    • 2020「粉戯と陣前招親――西唐故事の形成と展開をめぐる仮説――」、『中国都市芸能研究』第十八輯、pp.5-44
  • 山下 一夫  2003「梁全民氏と晋中皮影戯・木偶戯」、『中国都市芸能研究』第二輯、pp.27-36

*1 千田大介2019・2020参照。
*2 西唐故事の敵の主将の名前は、『金貂記』伝奇では蘇保童、小説『説唐三伝』では蘇宝同に作るが、清代の西唐故事の戯曲・芸能では一般に、蘇海、字を保(宝)同(童)とする。
*3 豆金蓮,豆金蓮,你今日犯在吾手,是你大限之日了。(第二十五葉)
*4 從先斬過金冠李道符,(ママ)大仙乃(ママ)勅旨看守。(第三十九葉)
*5 蘇海定下牢籠計,鎖陽城內困唐兵,遇了多少急難事,可憐眾將受災星。豆一虎盜取三皇劍,刺殺道符禍臨身。(p.293)
*6 千田大介2020参照。
*7 只因吳越起反心(p.293)
*8 吳越王若拜我為將,管教大唐君臣片甲不回。(p.298)
*9 本帥金鋒。在甘州吳越王駕前為臣,鎮守粉紅關。(p.302)
*10 吾乃崑崙山玉石精是也。(p.296)
*11 〔孫白〕原來是玉石琵琶一面。(p.318)
*12  白石琵琶是我身,
 三皇治世首靈文。
 長吞日月光華氣,
 修煉千年道法深。
俺李翠是也。石性堅剛,受日月精華之氣,千年修煉,能保長生之道法。凡心一動,身受榮華富貴,掛印提兵,統轄西戎將帥。只因李道符身逝,無人與他報仇,祖師金碧峰,命我下山,投在胡越王駕下。蒙國主,命我為帥,把守粉紅關。(p.39696)

*13 本帥金鋒。在甘州吳越王駕前為臣,鎮守粉紅江。前者吾命兩個孩兒,解押糧草十萬,到蘇元帥大營交的,不想被羅章將糧草劫去。(p.302)
*14 只為二子山柱、山樑,解送軍餉糧草,被唐將中途劫奪,又被唐將羅章傷害,國主大怒,命我前來,與元帥保守此關。(p.39698)
*15 〔接〕這寶藏庫乃是孔雀明王佛管轄,適纔細查,少了如來的金鐘一口、千佛袈裟一件﹑綑仙繩三十一條﹑缽盂一個、桃徑竹竿一根。〔悟〕呸呸,不錯不錯,是何人盜去的。〔接〕盜寶者乃是孔雀明王之弟,大鵬金翅鳥盜去的。(p.274)
*16 只因吳越起反心,蘇海定下牢籠計。鎖陽城內困唐兵,遇了多少急難事。……碧峰一怒把山下,滿營唐將被他擒。(p.291)
*17 贫道金壁风,我本是佛家面前金色大鹏雕洛凡。唐王人马在金斗锁阳关望景,我不免下得山去,用兵困了锁阳关。(《孝义皮影木偶传统剧本集成》p.1148)
*18 山下一夫2003参照。
*19 奴家金玉蓮,乃金成之女。萱堂早年之故終臨,兄弟姊妹皆無。自幼被仙人度去,拜九天玄女娘娘為師,學藝三年,學就刀馬純熟,練成異術多端。(第三十四葉)
*20 爹爹吔,他有不有的怕啥的呢。世上一夫二妻的多著呢。(第四十二葉)
*21 薛丁山在金家山招亲,被樊梨花知晓,立命蒋戌搬薛回营,帐前决斩薛丁山。金家山寨主金秀英闻夫被绑将问斩,赶来相救。樊梨花见之以礼相迎,借口即将临盆,假让印给秀英,以测其心。金接印后兵权在握,命梨花大战廉龙拿下连城,若败定斩不饶,同时命将薛将军解下法标。梨花悔不该交印,无奈只得遵命攻打连城,后终破了连城。梨花回营请功。秀英与其争功。薛丁山出面评理说,非你也非她,同是我薛家的功劳。徐策大喜,同请赴宴上。(『蒲州梆子劇目辞典』p.73)
*22 陈金定 平东侯陈金定。
窦仙童 平南侯窦仙童。
薛金莲 平西侯薛金莲。
靳秀英 平北侯靳秀英。
陈金定 众位女将听了。梨花挂帅,命咱帐下听点。……
樊梨花 武英侯,樊梨花!(《上党落子传统剧目集成》p.364)

*23 《中国戏曲志山西卷》pp.97-98参照。
*24 千田大介2019参照。
*25 『異説征西演義全伝』では、陳家に匿われた薛丁山を、陳金定が異人より買い求めた丹薬で治療し、一月ほどして快癒した後、訪れた蘇金定を討っている。

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