『都市芸研』第十輯/【書評】地域文化を記録するということ

Top/『都市芸研』第十輯/【書評】地域文化を記録するということ

【書評】地域文化を記録するということ――『中国・同里宣巻集』によせて――

佐藤 仁史

筆者は、2004年8月より太湖流域農漁村において口述調査を中心とするフィールドワークを実施している*1。従来文献史学の手法に依って江南地域社会の社会構造とその変容に関する分析を進めてきたが、研究の過程において直面したのは地域社会における史料の残り方という問題である。すなわち、県社会、市鎮社会とよりミクロな地域社会を降りていくにしたがって文献を残す知識人層の性格や数が変化し、地方文献によって知ることができるのは市鎮レベルがほぼ下限であり、村落レベルの実態を知ることは困難であるという問題である。また、文献に描かれた県や市鎮レベルの状況とてあくまでも在地知識人の関心の範囲にとどまり、民間信仰をはじめとする老百姓の世界に関する情報は寥々たる状態であることも指摘されてきた。

文献資料には断片的にしか現れない老百姓の世界を理解する手がかりを得るために、ヒアリングや民間所蔵の「地方文書」収集をはじめとする現地調査の実施を希求するのは自然な発想であろう。かかる経緯によって、筆者は2004年8月より現地調査を開始した。その際のテーマの1つが、濱島敦俊氏がつとに指摘した「社村」という江南農村の文化的統合形態の実態、及び「社村」と村落外世界との関係に関する実態についての検討である*2。したがって、当該地域の民俗に接近することが、計画当初からの主要目的であった。

幸いなことに、共同研究者である中山大学歴史系呉滔教授(当時中山大学歴史系PD)の紹介により、呉江市蘆墟鎮在住の民俗研究家張舫瀾氏の知遇を得、氏の手配によって、当地の民間信仰と密接不可分の関係にある宣巻と賛神歌儀式の上演を参観することができた。前者は平望鎮在住の宣巻藝人高黄驥氏による上演であり(演目は失念)、後者は旗傘社という漁民の香会組織の香頭である沈毛頭氏らによる劉王賛神歌の実演であったように記憶している*3

当時筆者が読んでいた文献からはほとんど知る由もなかった民俗文化に接したことによって、かかる民俗文化の実態とそれを取り巻く基層社会構造について強い関心が沸き上がり、爾来、これらの民間藝能が開催される廟会などの行事を参観したり、藝人に対するインタビューを実施したりしてきた。宣巻藝人に対する調査は、基本的に上述の張舫瀾氏のご助力のもと、氏の紹介を通じて実施してきた。その成果の一部を、『中国農村の信仰と生活』や『中国農村の民間藝能』などとして刊行することができたのは、ひとえに張氏のご助力による賜物である。

ところで、筆者の宣巻藝人調査が極めて順調に進んだ背景として、調査を開始した直後に中国において起こった無形文化財ブームを挙げなくてはならない。調査地点である呉江市においても、蘇州市や江蘇省の無形文化遺産に登録すべく、宣巻(同里宣巻)や山歌などの調査が開始されることになった。2007年初に普査領導小組が組織され、文化広播電視管理局と文化館の関連人員によって構成された工作小組と在野の郷土志家による専家組が設けられた。同時に各鎮において文化服務中心を核とする普査小組が設置され、文化工作経験者、退職教員、鎮志編纂者などに基層の調査への参与を求めた*4。宣巻調査の実質的な指導的役割を担ったのが当地の民俗に造詣が深いことで知られていた張氏であり、彼の元に多くの情報が集まっていたことも、我々の調査に大いに裨益した。以下で紹介する『中国・同里宣巻集』(中共呉江市委宣伝部等編、南京、鳳凰出版社、2010年)はその成果の1つである。本書は、呉江市という限定された地域にとどまるものの、従来師弟の間で継承されてきた宣巻を記録し、保存・公開することを目指すものであり、地域文化の記録という点に大きな意義をもつものである。同時に、我々がこれらの成果を利用するには記録されたことと記録されなかったこととを十分に吟味しなければならない。この問題について、以下では本書の内容や編纂の背景を紹介した上で考えてみたい。

まず、『中国・同里宣巻集』の構成をみてみよう。本書は〈口頭演唱記録本〉と〈手抄校点本〉の2冊からなり、それぞれの構成は次の通りである。

  • 〈口頭演唱記録本〉
    • 口絵
    • 序一(曹雪娟)
    • 序二(鄭土有)
    • 同里宣巻概述(兪前・張舫瀾)
    • 宝巻25種(叔嫂風波、冒婚記、双富貴、雪裏産子、梅花戒、白兎記、龍鳳鎖、洛陽橋、玉珮記、殺狗勧夫、新郎産子、張四姐閙東京、三拝花堂、春江月、夢縁記、頼婚記、金殿認子、珍珠衫、薬茶記、黄金印、金鎖縁、三線姻縁、姐妹封王、情義冤仇、林娘伝)
  • 〈手抄校点本〉
    • 宝巻25種(妙英宝巻、龍鳳鎖、雕龍宝扇、借黄糠、芭蕉認親、梅戒良縁、敗子回頭金不換、孟姜女、賢良記、大紅袍、双玉燕、絲羅帯、代皇進瓜、白鶴図、金枝玉葉、花架良願、馬前潑水、百鳥図軸、刺心宝巻、妻財子禄、天誅潘二、盗牌救翁、炎天降雪、失巾帕、珍珠搭)
  • 附録
    • 一、同里宣巻藝術四大流派和班社伝承譜系表
    • 二、宣巻藝人小伝
    • 三、宣巻曲調
  • 編後記(兪前・張舫瀾)

32頁におよぶ口絵には、上演場面や宝巻、使用楽器などの写真が多く収録されており、直に宣巻をみたことのない読者が具体的なイメージを持つのに役立っている。序一は呉江市宣伝部部長の手になるものである。序二は劉王信仰と賛神歌の専門家である鄭土有復旦大学教授によるもので、本書の特徴を、①実際に歌われた内容を文字化していること、②〈口頭演唱記録本〉であれ、〈手抄校点本〉であれ、実物に忠実にそのままを記録していること、③宣巻活動全体を記録したことと概括している。

「同里宣巻概述」は主編の兪前氏と代表副主編の張舫瀾氏によって記されている。兪氏は政府系統の責任者であり、実際の調査や校訂作業を指揮したのは張氏である。「同里宣巻概述」では、同里宣巻をとりまく地理的地域的環境、宣巻の淵源と発展の経緯、形式の分類と曲調、流派と特徴など同里宣巻の内容を理解する上で必要な基礎知識が簡潔に記されている。最後に、生ける無形文化財の保護・救済について述べており、「原味原汁」(本来の姿)を保つことを重視し、軽々しく修正を加えないことを旨としたと記されている。なお、彼らの調査に拠れば、民間に所蔵される宝巻の抄本は少なくとも150種にのぼるという。

さて、本書に採録された全50種の宣巻・宝巻のうち、〈口頭演唱記録本〉の25種については、張舫瀾氏を中心とする文字採録組が宣巻藝人の上演会場や自宅に赴いて録音し、それを文字に起こしたものである。それぞれの巻には、内容の概要、採録対象藝人、録音日、整理日、上演地点、上演状況についての解説が附されている。それらを集約すると表1の如きである。

表1 〈口頭演唱記録本〉収録の25種の演目一覧
宝巻名藝人名上演日上演地上演状況
叔嫂風波高黄驥07/12/15葉沢湖花苑私人宅での賧仏(神明へ奉納)
冒婚記趙華08/12/12雪巷村私人宅での賧仏
双富貴高黄驥08/1/15新方小区私人宅での賧仏
雪裏産子趙華07/12/23銘徳小区新居への引越祝い
梅花戒張宝龍08/3/9友聯村私人宅での賧仏
白兎記柳玉興08/4/19屠家柵村娘舅廟における慶事への願ほどき
龍鳳鎖石念春08/3/19鎮新厙公寓私人宅での賧仏
洛陽橋芮時龍08/4/18直港村私人宅での賧仏
玉珮記計秋萍08/2/14新永村私人宅での賧仏
殺狗勧夫呉卯生08/04/11文聯会議室本書編纂委員会が上演を依頼
新郎産子肖燕08/3/12友聯村私人宅での賧仏
張四姐閙東京江仙麗08/2/8三里橋北区老年活動室での慶事上演
三拝花堂兪梅芳08/4/20蕩上村私人宅での賧仏
春江月顧剣平08/03/23北仰仙村私人宅での賧仏
夢縁記江偉龍08/5/11方港村私人宅での賧仏
頼婚記厳其林08/5/18新港村私人宅での賧仏
金殿認子張宝龍08/2/15銭長浜私人宅での賧仏
珍珠衫石念春08/04/12金家壩鎮上私人宅での賧仏
薬茶記呉根華08/1/12野猫圩新村新居への引っ越しに伴う賧仏
黄金印鄭天仙08/2/29鄭天仙宅本書編纂委員会が上演を依頼
金鎖縁計秋萍08/2/27費家梗村猛将廟における賧仏
三線姻縁李明華08/5/4夫子浜村私人宅での賧仏
姐妹封王江仙麗08/2/4金家壩鎮上息子の婚約を祝って賧仏
情義冤仇沈祥元08/4/4沈祥元宅本書編纂委員会が上演を依頼
林娘伝屠正興08/5/31兪厙村息子の10才の誕生日を祝って賧仏

採録された宝巻はほとんどが多くの藝人によって上演される、なじみの深いものが大半を占めているようである。採録の対象となった藝人についても、特定の藝人に偏ることのないように満遍ない。張宝龍、趙華、江仙麗、高黄驥といった特に人気のある藝人については2種が採録されている。また、沈祥元や呉卯生といった民国期にも上演経験のある老藝人、人々が異口同音に言及する実力者張宝龍、趙華や江仙麗などの若手藝人まで様々な世代の藝人による上演が取り上げられており、ここから個々の藝人の藝風や工夫、世代間の相違点などを分析することも可能であろう。

〈手抄校点本〉は、宣巻藝人が継承してきた宝巻の抄本や博物館に所蔵されている宝巻の抄本のうち25種を校訂し、収録したものである。宝巻名、現所蔵者、抄写者、抄写時期は表2の通りである。所蔵者は蘇州戯曲博物館と沈祥元に集中しており、これらが民国期に活躍した宣巻藝人から継承されてきたことが一目瞭然である。抄写者は孫奇賓と沈祥元が半分を占めるが、民国期における宣巻の実態の一端を伝えているという点においても貴重であろう。

表2 〈手抄校点本〉所収の25種の宝巻一覧
宝巻名所蔵者抄写者抄写時期宝巻名所蔵者抄写者抄写時期
妙英宝巻沈祥元沈祥元白鶴図蘇戯博孫奇賓
龍鳳鎖呉卯生呉卯生民国期?金枝玉葉蘇戯博孫奇賓
雕龍宝扇厳其林徐銀橋1927年花架良願蘇戯博孫奇賓
借黄糠沈祥元沈祥元1980年代初?馬前潑水蘇戯博孫奇賓
芭蕉認親呉卯生許春燮民国35年百鳥図軸蘇戯博孫奇賓
梅戒良縁張宝龍許維鈞民国35年刺心宝巻蘇戯博胡畹峰
敗子回頭金不換呉卯生呉卯生妻財子禄蘇戯博孫奇賓民国36年
孟姜女張舫瀾張琪蓀1955年天誅潘二蘇戯博金志祥
賢良記呉卯生許維鈞1955年盗牌救翁蘇戯博孫奇賓
大紅袍顧剣平清河玉麟炎天降雪蘇戯博孫奇賓
双玉燕沈祥元沈祥元失巾帕蘇戯博胡畹峰
絲羅帯沈祥元沈祥元珍珠搭某藝人顧根福、民国18年
代皇進瓜蘇戯博孫奇賓民国37年
注:蘇戯博は蘇州戯曲博物館の略

付録には、鄭土有氏が「宣巻活動全体を記録した」ものとして高く評価する3種の資料が添えられている。新編地方志の文化欄においても簡略にしか記述されない、藝人の流派や継承関係(一、同里宣巻藝術四大流派和班社伝承譜系表)、藝人の人物伝(二、宣巻藝人小伝)は貴重な情報である。

次に本書の意義について考えてみたい。本書の最大の功績は、〈口頭演唱記録本〉と〈手抄校点本〉という異なるアプローチによって、宝巻のテキストそのものを複眼的に捉えるための貴重な情報を提示している点にある。従来の研究においては手抄本を中心とする書かれたテキストが中心であったことに対して、上演現場そのものから採録された〈口頭演唱記録本〉は、書かれたテキストが実際にどのように上演されているのかを知る上で極めて貴重な情報を提供している。例えば、『龍鳳鎖』は〈手抄校点本〉と〈口頭演唱記録本〉の両方に収録されているので、書かれた宝巻が実際にどのように上演されているのかを具体的に知ることができる。このような方向性を突き進めていけば、ある特定の宝巻について異なる藝人の上演状況を調べることによって、世代や流派によって上演のスタイルがどのように異なるのか、個々の藝人はどのように工夫を施しているのかなどについての分析にも繋がっていくであろう。したがって、それぞれ25種全50種にのぼる宝巻の採録は極めて重要な礎を築いたといえよう。なお、〈口頭演唱記録本〉は、呉江方言によって上演で語られたり唱われたりした内容がそのまま文字に起こされているため、呉語に特有の表現や語彙については逐一注釈が附されている。言語学の分野においても一定の有用な情報を提供するものでもあろう。

ところで、〈口頭演唱記録本〉にはCDが附されており、いくつかの宝巻の一部が収録されている。ここからは、具体的にどのような腔調(節回し)がどの部分に使用されているのかの一端を知ることができる。かかる方向性は、テキストそのものに偏重してきた従来の研究から、新たな段階に研究を推し進める可能性を秘めている。例えば、本書でも取り上げられている趙華は、もともと越劇の役者として経歴を出発させ、劇団の解散によって新たな活動空間を宣巻に見いだしたという藝人である。したがって、越劇団の高齢化や解散によって、春台戯などの機会に越劇団を招聘することが困難になった状況のもと、宣巻の中に越劇の演目や曲調を積極的に取り入れて、他の藝人との差別化を図り、観衆の強い支持を受けている。このような新たな展開を検証する手がかりとなるのも、テキストそのものの研究にとどまらない映像・音声資料であり、これらの土台となっているのが、本書の編纂の過程で行われた現地調査なのである。

本書の功績の第2点としてあげられるのが、藝人の比較的詳細な人物伝や師弟関係を明らかにした点である。先ず、人物伝について言えば、班子を率いて現在活動中の主要な藝人、既に引退して経常的な活動を行っていない存命の老藝人、また彼らの師匠にあたる藝人について比較的詳細な紹介がなされている(〈手抄校点本〉369-384頁)。また、〈手抄校点本〉366頁-368頁では、呉江における四大流派とその継承関係についての系図が載せられており、ここにも本書の精密な仕事の一端が表れているといえよう。ただ、継承関係は確かに極めて重要ではあるものの、先に見た趙華の例のように別の畑から宣巻業界にきた藝人もいるので、この場合には継承関係もさることながら、個人的な資質が藝に与える影響についても十分な配慮をする必要がある。

筆者は、宣巻の上演や宣巻藝人を取り巻く環境と農村社会との関係について、もっぱら農村社会の生活や民俗の角度から若干の調査をしたことがある*5。その中で、調査にご助力頂いた張舫瀾氏から多くの宣巻藝人を紹介頂き、可能であるならば全員に話を聞いた方がよいとご助言頂いたが、調査日程の関係上叶わなかった。呉江におけるほぼすべての藝人を網羅する、細やかな調査を行いえたのは、平素から藝人との親交が深い張舫瀾氏の如き人物だからこそであろう。

先にも述べたように、本書は研究者による学術的な成果ではなく、郷土史家や在地の文藝工作者による仕事であるので、純粋に学術的な角度からの論評はそれほど意味のあることとは思われない。むしろ、彼らが無形文化財登録を目的として行った作業や発想そのものに即して、本書の仕事について数点にわたり考えてみたい。その際、テキストそのものの扱い方に関する問題と、テキスト以外に関する問題とに分けて述べる。

前者について考えたいのは、〈口頭演唱記録本〉と〈手抄校点本〉におさめられている全50種のテキストの位置づけについてである。編纂委員会にはこれらを選定した基準とその理由があるとは思われるが、何らかの形で全体像を提示することもできたのではないだろうか。例えば、本書編纂の過程で藝人全体を精査したのであるからには、個々の藝人のレパートリーをそれぞれ一覧にすることができたように思われる。評者はかつて、現在では既に引退した朱火生氏の協力により、彼の上演記録をみせていただいたことがある。これを集計したものが表3である*6

表3 朱火生氏の演目別上演頻度(1999年~2007年1月)
宝巻名回数宝巻名回数宝巻名回数宝巻名回数
姐妹花146還魄記25乱点鴛鴦10文狀元1
新郎産子121双貴図21双夫奪妻10梅花嫁1
叔嫂風波81三線姻縁19風筝嫁9施紅菱1
白鶴図57珍珠塔17雕龍扇5百寿図1
姐妹調嫁57玉蜻蜓16金釵記4光棍買老婆1
龍鳳鎖56姐妹封王16蓮花女3半把剪刀1
双美縁56金殿奪子15顧鼎臣3婆媳風波1
紅灯花轎53劉王宝巻13双富貴2張四姐下凡1
珍珠衫49失帕記13公堂認母2子金釵1
双玉菊38半夜贈銀11兄妹拝堂1賢母良母1
三更天35魚龍記11懶婚記1代做菜1
紅楼鏡29失金帕11双女封王1梅花戒1
写真1 朱火生氏の上演記録

ここからは、どの演目を何回上演していたのかが一目瞭然である。ところで、朱火生氏は、物語の構造を複雑化するという独特の上演スタイルから、極めて詳細な宝巻を自編している*7。興味深いことは、これらの宝巻群と表3の上演一覧とは必ずしも一致しないものがあることである。抄本であれ自編であれ、宝巻を所有していることは必ずしも上演したこととは一致しないということを示していよう。

写真2 朱火生氏の手になる宝巻

ところで、一般的にいって、上演日の予約や複数回訪れる上演場所で演目が重複しないようにするために、宣巻藝人は何らかの形で上演記録(「生意表」「工作表」などと呼称されている)を持っている。評者が朱火生氏以外に、芮時龍氏、趙宝龍氏、趙華氏、江仙麗氏の上演記録を閲覧させて頂いたこともその証左といってよいであろう。これらの上演記録を分析することで可能になるのは、上演演目がどのように変遷したのかという点である。十八番となる宝巻が重要な場面において上演される以外に、上演時期や観客の嗜好の変化などにしたがって、上演される宝巻が変遷していることが十分に想定されるからである。

後者のテキストや藝人を取り巻く環境については、表1を手がかりとして考えてみたい。呉江市の無形文化遺産調査班は、宣巻の上演場面について、廟会、企業の開業、敬老院、新居の落成、長寿祝い、婚約・結婚などをあげ、関連する民俗として「廟会などの場面における上演では専ら“仏”(神への奉納)のために用いられる」としている*8。表1の上演場面や上演場所に関する簡潔な説明もほぼ上記の説明に沿っている。

テキストそのものを主要な編纂対象とする本書の性質から言えば、宣巻の上演場面については、この程度の記述をすれば十分であると考えられたことは理解できる。また農村の日常生活と密接な関係にある調査班の人々にとって、上演環境は「言わずもがな」のことなのかもしれない。しかしながら、現地の文化を観察したり、分析したりする者にとっては、かかる記述は隔靴掻痒の感をぬぐいきれない。上記の説明からは、上演場面の概況を把握することは出来るが、どのような性質の場面がそれぞれどの程度の割合を占めているのか、上演場面の内訳にはどのような変化がみられるのかについては判明しない。テキスト以外の部分に関心を持つ研究者にとってはこれらが関心の焦点になるであろう。

この点については、かつて上演場面と農村民俗との関連性に関心を抱いた評者は、2人の藝人に評者の意図を伝え、彼らが付けていた上演記録に上演の目的と依頼者の性質について記すことを依頼し、両氏の快諾を得た。そのうち、朱火生氏の上演目的に関する部分を整理したものが、表4である*9

表4 朱火生氏の宣巻上演場面(2005年8月~2007年1月)
類型内訳内訳回数回数
Ⅰ年中行事集団活動(廟会など)6061
観世音誕生日1
Ⅱ人生儀礼誕生日・満月など942
長寿祝い6
大学入学4
新居の落成18
結婚・婚約5
Ⅲ願掛け・願ほどき病気や事故9167
発財126
宗教32
Ⅳその他文藝・娯楽活動714
その他7
Ⅴ詳細不明詳細不明7474
合計358回

既に2つの論考においてこの表を使用し、詳細な位置づけについて議論したが、ここでは論評の関係上必要な部分を改めて述べることにしたい*10。「Ⅰ年中行事」は廟会や春台戯などの年中行事に類するものを集計した。「Ⅱ人生儀礼」は結婚、嬰児の「満月」(生後1ヶ月のお祝い)、大学合格、長寿祝いなど人生儀礼に関するものを含んでいる。「Ⅲ願掛け・願ほどき」は商売繁盛や病気治癒についての願掛けや願ほどきに際して行われる上演や、「待仏」と称される神明への奉納を含む。「待仏」は「賧仏」のことを指す。また、「待菩薩」と表現されることも多い。Ⅲにおいて神明が招待され、接仏・送仏という儀式が行われるのに対して、「Ⅳ娯楽活動など」は宗教性をまったく帯びない純粋な文藝・娯楽活動として催されるものを集計している。「Ⅴ詳細不明」は記録が全くないか、記してあっても戸主の名前があるのみで上演場面が判明しないものを示す。

表4、そして江仙麗氏の上演記録、他の宣巻藝人に対するヒアリング調査の結果などを総合すると、近年の上演においては「Ⅲ願掛け・願ほどき」が主要を占め、半数から6割に達している*11。ただ、何をどのように分類するかについては、2藝人の記録方法が相当異なっているので、その内実を丁寧に見ていく必要がある。「待青苗」とよばれる年中行事も「待仏」に分類されてしまっている可能性があり、Ⅰに分類されている行事もⅢとの境界は曖昧である。

それでは、誰が神明に願掛け・願ほどきを行い、その際に宣巻を奉納するのかが問題となろう。「待仏」について、評者に説明をする中で、江仙麗氏は次のように述べている*12

問:待仏とはどのようなものですか。
答:待仏とは、子供が大学に合格した時や、老板がその年の儲けがよかった時にする行事です。エビや魚の養殖に従事している老板が行うのも待仏です。
問:待仏を行う時にはどこから神明を招くのですか。
答:自分の村の神を招きます。村には小廟があり、そこには神明が安置されていますから。金家壩鎮では荘家圩劉王庙の神様を家に招くことが多いです。
問:待仏を行う時には必ず村の神明を招かなければならないのですか。
答:そうです。
問:仏娘の[家に安置されている]神を招くこともありますか。
答:あります。村には仏娘がいて、彼女の神明を招くことになっています。

朱火生氏の上演記録においては、「奉敬○○(神明名)」と記録されており、具体的にどの神明に奉納されたかも知ることができる。「戸主性質」の欄には依頼人の職業などが記されており、ここから判断すると、「老板」による商売繁盛に関連するものか、仏娘が介在した活動がⅢの多くを占めており、彼らこそが宣巻活動の組織人であり、藝人の主要な商売相手であることが近年の特徴として浮かび上がってくるのである。

以上は評者が調査において知り得た宣巻をとりまく状況の一端に過ぎないが、あくまでもテキストそのものに対象を限定した本書において、十分には関心の払われていない非テキストの側面を伝えることはできたであろう。このことは、本書編纂者の問題というよりも、無形文化遺産をどのように考えるのか、そしてそれらをどのように記録するのかという大きな文脈における問題点であるように思われる。なぜならば、同里宣巻の申請は第1期に行われたものではないこと、市級・省級の無形文化財の登録を目指したものであることという点から、後発性、地域性が極めて濃厚であり、他地域の無形文化遺産の申請状況を調査した上で、無形文化遺産登録申請のための調査や申請書の作成を進めたことが容易に想像されるからである。であるならば、本書において十分に記録されていないことは、一般的な無形文化財に対する捉え方、それらの記録のしかたそのものを反映したものであるといえよう。

中国の無形文化財についての議論を行っている民俗学者の菅豊は、無形文化財は人間・生活との関わり合いのなかで価値が生み出されることを看破している。宣巻についても、狭義の意味での藝術や藝能のみの保存を目指すことは、総体として宣巻を継承していくこととの間に少なからぬ齟齬を生ずるように思われる*13。現地住民において、宣巻は粗野なもの、近年では容易に見られぬ京劇などの代替という評価があるのに対して、演劇研究の立場からみると意外にも高い藝術性があることが明らかになっている*14。しかしながら、例えば、国家級の無形文化財に認定された弾詞と比較すると、藝術としての完成度や人材育成制度において全く及ばないことは否定のしようもない事実である。換言すれば、藝術としての高い地位が認定され、人材養成制度が確立された無形文化財に対して、日常生活と密接不可分にある宣巻の場合、「生活」の捨象は宣巻そのものの存在にかかわる重大な問題なのである。

宣巻をとりまく生活面に注目すると、調査の過程において目撃した江南農村における変化が評者に鮮烈な印象を与えた。それは、管見の限りでは2008年頃より顕著となっている農村の集団移転という現象である。評者が調査対象とする上海市松江区、青浦区、江蘇省呉江市などにおいては、多くの農村が村ごと集団移転し、村は一旦更地にされた上で、工場用地となったり、高速道路用地となったりする状況を目撃した。裕福な家庭は県城や鎮に自宅を購入していたが、それ以外は政府が手配した「新村」に集団移転していた。「新村」は市鎮周辺に建設されていることが多いことを考えると、これらの地域においては市鎮を拡大し、郊外化しようとする意図をみてとることができよう。

写真3 「新村」の住宅前で上演を行う趙華氏

農村が郊外に変貌するという状況の中、宣巻をとりまく生活はどのように変化するのであろうか。そして、そのことは宣巻の上演環境にどのような変化をもたらすのであろうか。この問いに対しては今後長期的な観察が必要となるが、「新村」においても路地の空きスペースを使って宣巻活動をしている場面をしばしばみかけたことはそのヒントの1つであるかもしれない。宣巻活動を組織する主要クライアントの1つである「仏娘」と呼ばれるシャーマンも、集団移転後に自宅の一室を金堂に改造して、宗教活動を行っていた。「新村」という新たな環境に従来の文化が適応しているとみることもできよう。しかしながら同時に、農村の郊外化によって今後さらに進展するかもしれない生活スタイルの近代化が特に若い世代にもたらす意識の変化によって、宣巻をとりまく民間信仰に対する意識の淡白化を招くことも十分に考えられる。

ところで、生活全体を視野に入れた上で無形文化財の保存や継承を目指されるべきであるという点は、中国の無形文化財ブーム全体が抱える問題であるともいえる。他の事例をあげよう。例えば、評者が参加する研究班においては、江南地方の農民や漁民に拡がっている劉猛将軍(劉王)信仰について調べている。劉猛将軍信仰の総本山は浙江省嘉興市王江涇鎮蓮泗蕩の劉王廟である。蓮泗蕩廟では1980年代初頭から参拝客が急増し、1986年に民主村が「劉承忠紀念公園」として劉王廟の再建を行った。しかしながら、これはあくまでも信仰活動を黙認したにとどまっており、「封建迷信」としてのレッテルは信仰組織の香頭達に依然として警戒心を与え続けており、ある漁民の香頭は評者の訪問に対して「後遺症を恐れるから」として当初採訪を拒絶した。非物質文化財ブームに波は近年蓮泗蕩劉王廟にも押し寄せ、劉王廟やそこにおける廟会(網船会)は浙江省の非物質文化遺産に認定されている*15。民間信仰や廟会は当然のことながらそれを支える信仰組織や人々の信仰心と不可分であり、さらには人々の生活様式からも離れられない。網船会の如き目に見える部分を、民間信仰の総体から切り離して保存や継承が可能であるのか、総体として保存・継承するにはどのようにすればよいのかといった問題に直面している。

写真4 劉承忠紀念公園(浙江省無形文化遺産の文字が見える)

『中国・同里宣巻集』は、〈口頭演唱記録本〉や宣巻藝人の人物伝に端的に示されているように、単なるテキストの寄せ集めにはとどまらない工夫が凝らされており、ここに本書の意義を見いだすことができる。藝人やその上演会場を逐一訪問し、長大な上演の録音記録を起こす作業には膨大な労力を割いたことであろう。整理された宝巻群や関連情報は、関連分野において裨益するところが大きいことは贅言を要さない。

しかしながら、地域文化を如何に記録するかという角度からみれば、本書はテキストそのものに焦点をあてたものであり、テキストを取り巻く環境については、藝人レヴェルを範囲とするにとどまっていることもまた事実である。無形文化財の保存・継承という観点から考えると、総体としての藝能、すなわち宣巻と密接不可分の関係にある民俗生活を含めた上演環境を総合的にとらえて記録することが必要であると思われる。しかしながら、このことは従来「封建迷信」としてみなし、改造の対象としていたり、保存の対象から追いやったりしてきたものに対する価値の転換を伴わなくてはならないことでもある。公式にこのことが可能になるのか、今後注視していきたいと思う。

以上、『中国・同里宣巻集』に対して、限定された範囲で若干の議論を行った。文学・藝能を専門としない評者の力量不足によって、本来は正面から取り上げるべき同里宣巻の文学・藝能上での位置づけについては述べることができなかった。この点については、専門家の専評を期待したい。


*1 フィールドワークによる成果の一部分は、太田出・佐藤仁史編『太湖流域社会の歴史学的研究――地方文献と現地調査からのアプローチ』汲古書院、2007年、佐藤仁史・太田出・稲田清一・呉滔編『中国農村の信仰と生活――太湖流域社会史口述記録集』汲古書院、2008年、佐藤仁史・太田出・藤野真子・緒方賢一・朱火生編『中国農村の民間藝能――太湖流域社会史口述記録集2』汲古書院、2011年、として発表した。
*2 「社村」については、濱島敦俊『総管信仰――近世江南農村社会と民間信仰』研文出版、2002年、142-159頁。
*3 張舫瀾氏は1939年生まれ、中国民間文藝家協会会員、中国民俗学会会員。中医であった父の影響から民俗に興味をもち、平望鎮の工会に勤務するかたわら、在野の愛好者として山歌などの収集を行ってきた。『中国・蘆墟山歌集』(上海、上海文藝出版社、2004年)の副主編を務めた。
*4 『江蘇省非物質文化遺産普査 呉江市史料匯編』第1巻、呉江市文化広播電視管理局、2009年。なお、当該資料は張舫瀾氏所蔵のものを閲覧させていただいた。
*5 佐藤仁史「一宣巻藝人の活動からみる太湖流域農村と民間信仰――上演記録に基づく分析」前掲『太湖流域社会の歴史学的研究』所収、同「江南農村における宣巻と民俗・生活――藝人とクライアントの関係に着目して」前掲『中国農村の民間藝能』所収。
*6 前掲『中国農村の民間藝能』10頁より転載。
*7 緒方賢一「呉江宣巻のテクストについて――朱火生氏の宝巻を中心に」前掲『中国農村の民間藝能』所収。
*8 前掲『江蘇省非物質文化遺産普査 呉江市史料匯編』。
*9 前掲『太湖流域社会の歴史学的研究』256頁より転載。
*10 注5参照。
*11 陳鳳英氏は廟会と「待仏」が全体の7割を占め、そのうち、「待仏」が最も多いとしている。また、肖燕氏も廟会が7割を占めると言及しているのも「待仏」を含んでいる。
*12 前掲『中国農村の民間藝能』267頁。
*13 菅豊「何謂非物質文化遺産的価値」『文化遺産』2009年第2期。
*14 藤野真子「中国江南における宣巻の上演状況」前掲『中国農村の民間藝能』所収。しかしながら、ある宣巻藝人の父親は、宣巻は老婦女に好まれる「粗野」な藝能であり、京劇こそが「正統」な演劇であり、京劇好きの自分には受け入れがたいと述べている。
*15 『江南網船会――流淌着的運河民俗』(パンフレット)2009年。当該資料は沈小林氏より閲覧させて頂いた。

添付ファイル: file写真2.JPG 585件 [詳細] file写真3.JPG 531件 [詳細] file写真4.JPG 530件 [詳細] file写真1.JPG 592件 [詳細]