『都市芸研』第一輯/『西遊記』影巻加格達奇抄本をめぐって

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『西遊記』影巻加格達奇抄本をめぐって

山下 一夫

1.はじめに

中国都市芸能研究会では現在、皮影戯研究の一環として、影巻とよばれる台本の整理保存活動を行っている。灤州皮影の抄本や北京西派皮影の手稿本などを中心として、すでに百六十種以上の影巻を収集し、現在は解題目録の作成作業を進めている*1。そうして収集された影巻の一つに、ここで取り上げる『西遊記』十巻抄本がある。文の区切りになる部分に」などの記号を用い、また眼を表す漢字を実際の眼の絵で代用しているなど、影巻に一般的な抄写形態を有することから皮影戯テキストと解り、また収集した多くの抄本と同じ様に、あまり質がよいとはいえない紙に毛筆で抄写され、糸で冊子状に綴じられている。一般的に影巻は通読用に供されるものではなく、上演する際に参照するためのものであるため、収集した影巻は上演時のホコリや煤を被って傷んでいるものが多いが、この抄本についてはあまり破損が見られず、保存状態も良い。これは、実際の上演にあまり用いられなかったことを示しているだろう。各巻の封面題と小説『西遊記』(世徳堂本)のおおよその対応回目は以下のとおりである*2

  • 第一巻「師徒路遇火焔山 孫悟空借芭蕉扇」
    第五十九回-第六十一回
  • 第二巻「碧波潭孫悟空捉九頭妖 弥勒佛捉黄毛童」
    第六十二回-第六十六回
  • 第三巻「連環洞遇妖 孫行者捉花斑豹鉄背花面狼」
    第八十五回-第八十六回
  • 第四巻「孫悟空捉蛇妖 又到朱紫國」
    第六十七回-第七十一回
  • 第五巻「孫悟空朱紫國捉妖 南海大士收伏青毛孔」
    第六十七回-第七十一回
  • 第六巻「大閙清華洞黄花観 孫悟救小児比丘國捉妖」第七十二回-第七十三回、第七十八回-第七十九回
  • 第七巻「唐僧錯入鎮海寺 孫悟空大閙無底洞」
    第八十一回-第八十三回
  • 第八巻「哪吒捉白鼠精 唐僧師徒越過滅法國 悟空告李天王」
    第八十三回、第七十四回
  • 第九巻「孫悟空被妖装近陰陽二気 師徒近獅駝嶺遇妖」
    第七十四回-第七十六回
  • 第十巻「文殊普賢收獅象 如来下山收金翅鳥」
    第七十五回-第七十七回

また第四巻の末葉には「加格達奇孟昭崙書 一九七九年十二月初四日書」という題記があり*3、ここからこの影巻抄本は加格達奇の孟昭崙という人物によって一九七九年に抄写されたことが解る(従って以下これを加格達奇抄本と称する)。加格達奇は内蒙古自治区呼倫貝爾盟の黒竜江省にほど近いあたりに位置し、江玉祥によれば灤州皮影の分布下にあるとされる地域である*4

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図一 加格達奇抄本第一巻封面
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図二 加格達奇抄本第四巻末葉

2.鼓詞『西遊記』との関係

さて、主に北方で流行した講唱文学の一つに「鼓詞」がある。これは「説唱鼓詞」とも称し、散文による「語り」と韻文による「唱い」を交互に行いながら物語を演ずるというものである。この鼓詞に『西遊記』の演目があり、清蒙古車王府曲本に全百十巻の抄本が含まれている*5。またこの車王府本をもとに、表現を現代風に改めたり、韻文が重複している部分や「内容上不健康」とされた部分を削除したりして、本文に大幅な整理を加えた排印本に『説唱西遊記』(一九五六年)がある*6。加格達奇抄本は、この『説唱西遊記』と内容が一致するばかりか、本文の字句もほとんど重なっている。すなわちこの影巻は、世徳堂本などの小説『西遊記』や、既存の西遊記関連影巻ではなく、解放後に作られた鼓詞『西遊記』の整理本によって新たに作られたものなのである。例として、小説『西遊記』(世徳堂本)第八十三回の、三蔵を捕らえた白鼠精が李天王の義女だと解ったため、孫悟空が天界に昇って天王を告訴する場面を取り上げて比較してみよう*7。まず小説の原文は以下の様になる(句読点は筆者による、以下同じ)。

天王聞言,悚然驚訝道:「孩兒,我實忘了,他叫做什麼名字?」太子道:「他有三箇名字:他的本身出處,喚做金鼻白毛老鼠精;因偸香花寳燭,改名喚做半截觀音;如今饒他下界,又改了,喚做地湧夫人是也。」天王却才省悟,放下寳塔,便親手來解行者。行者就放起刁來道:「那個敢解我!要便連繩兒擡去見駕,老孫的官事才贏!」

この部分にほぼ対応する鼓詞『西遊記』清蒙古車王府曲本八十五部十六葉から十七葉にかけては、以下の様になっている*8

天王聽哪吒之言,吃一大京,說:「我的兒,爲父的竟忙懷了,此時不知這個妖怪叫什麼名字?」太子說:「此妖有三個名字,本名叫作金鼻白毛老鼠精;因他偷吃了如來面前的花燭,改名叫作半截觀音;如今在下方興妖作怪,又稱爲地湧夫人。當日他也曾拜父王爲父,又拜孩兒爲兄,直到如今,二百餘年,難道父王你忘了不成?」三太子 說罷前後一夕話 天王聞聽吃一京 這才想起當年事 不由得 垂顏低頭言語云 父王摸口來說話 行者下面聽的聽 眼望著 托塔天王哈哈笑 叫聲姓李的你是聽 不必延遲快些走 咱到靈霄去辦評 這場官司不能散 鬧了黃河水不清 我老孫 全憑牌位爲正見 不怕你勢力與人情

そしてこれが『説唱西遊記』では以下の様に改められている。

天王聞聽哪吒之言,吃一大驚,說:「兒啦,爲父忙中忘事,此時不知這個妖精叫什麼名字?」太子説:「此妖有三個名字,本名叫作金鼻白毛老鼠精;因他偷吃了如來面前的花燭,改名叫作半截觀音;如今在下方興妖作怪,又稱爲地湧夫人。當日他也曾拜過父王、又拜孩兒爲兄,直道如今,二百餘年,難道父王就忘了不成?」李天王父子來說話,行者下面聽的清,眼望著托塔天王哈哈笑,叫聲:「姓李的你是聽。不必遲延快些走,咱倆到靈霄殿上把理評,我老孫全仗牌位爲憑據,不怕你勢力與人情!」

これに対応する加格達奇抄本の第八巻十三葉では以下の様になっている。

白 天王聽哪吒之言,吃一大驚,說:「兒啦,爲父忙中忘事,此時不知只個妖精叫什麼名字?」「父王,此妖有三個名字,本名叫作金鼻白毛老鼠精;因他吃了如來面前花燭,改叫半截觀音;如今在下方興妖作怪,又稱爲地湧夫人。當日他也曾拜過父王,又拜孩兒爲兄,只道如今,二百餘年,難道父王你忘了不成?」「是了。」 唱  天王父子來說話 行者下邊聽的清 眼*9望天王哈哈笑 叫聲姓李的你是聽 不必多說快些走 咱見玉帝把禮平 牌位香爐是證件 不怕事力與人情

清蒙古車王府曲本では「我的兒,爲父的竟忙懷了」となっていた部分が、『説唱西遊記』では「兒啦,爲父忙中忘事」と改められているが、加格達奇抄本の本文は後者と全く一致している。こうした点を見ても、加格達奇抄本がこの解放後の排印本によったことは明らかである。なお「這」が「只」に置き換わっているのは、方言的要素によるものと思われる。抄本全体の対応関係を『説唱西遊記』の頁数で示すと以下の様になる*10

  • 第一巻 四五八頁-四八七頁
  • 第二巻 四八七頁-五二四頁
  • 第三巻 七二八頁-七四四頁
  • 第四巻 五二四頁-五五六頁
  • 第五巻 五五六頁-五八三頁
  • 第六巻 五八三頁-六〇二頁、六六三頁-六七四頁
  • 第七巻 六七四頁-七〇二頁
  • 第八巻 七〇二頁-七二一頁、六〇二頁-六一四頁
  • 第九巻 六一四頁-六四七頁
  • 第十巻 六四七頁-六六三頁

3.改編の実際

一般的に鼓詞の唱詞は、三・七・七・七・三・七・七・七・三・七・七・七・七・七・七の様に、七字句を主としつつ一定の間隔で三字句が現れるというリズムになっている。『説唱西遊記』では、閲読用に供するため韻文に対してかなりの改変が行われているものの、基本的にはやはりこれが踏襲されている。また灤州皮影では唱詞に様々なリズムが用いられるが、最も多用されるのは「七字賦」と呼ばれるものである*11。これは七字句を基調としつつ、時に三字句や四字句を間に加えるというもので、鼓詞の唱句に類似している。そのため加格達奇抄本では、『説唱西遊記』の韻文をほとんどそのまま流用している所もある。例えば『説唱西遊記』で、

孫大聖嗖的一聲無宗影,將身起在半懸空,筋斗祥雲急似箭,一眼看見滅法城。

となっている部分は、加格達奇抄本第八巻二十一葉では、

孫大聖 嗖的一聲無宗影 將身起在半懸空 一個金斗急似箭 一眼看見滅法城

となっており、「筋斗祥雲」が「一個金斗」に改められているほかは、「孫大聖」の三字句を含めてそのまま用いられている。ただし、「七字賦」での三字句の挿入はあまり多用できないため、先に引用した小説第八十三回相当部分でも、『説唱西遊記』で「眼望著 托塔天王哈哈笑」となっていたものが、加格達奇抄本で「眼望天王哈哈笑」となっているように、他の句と併せるなどの操作を行って七字句とするものが多い。また灤州皮影では他に、五字句による「五字錦」や、三・三の六字句を基調とし下句のみ七字とする「六字頭」、三・三・四あるいは三・四・三の十字を基調とする「十字句」など、様々な唱句があるが、「七字賦」以外のスタイルで加格達奇抄本中に現れるのは「三趕七(三頂七)」と呼ばれるものだけである。これは三・三・四・四・五・五・六・六・七・七というように、三字句から七字句へと二句づつ次第に一字を加えていくスタイルで、比較的力点がおかれる場面に使われ、様々な芸能の中で皮影戯にしか用いられないとされるものである。抄本全体では十数カ所ほど用いられているが、以下に第九巻三十三葉から三十四葉の部分を例として挙げる。

孫大聖 力無窮 只見妖怪 現了元形 元來是白相 兩眼如明燈 兩個白牙白亮 身形高大相城 跟著大聖往前走 不敢哼哈不出聲八戒看 喜心中 抖起威風 下了山峰 手拿九齒鈀 急打不消停 一下緊接一下 白相只是哼哼 一直打到高山下 沙僧抬頭看的清

ここは三蔵を捉えていた白象精が孫悟空に倒されて本性を現す場面で、小説では第七十四回から第七十七回に該当するいわゆる「獅駝嶺」の物語の中では、一定の盛り上がりを見せる部分である。これの元になった『説唱西遊記』の韻文は以下の様になっている。

孫大聖抓住鼻子只一拽,妖怪疼的現原形,原來是隻白玉象,毛如雪練眼通紅,兩條長牙白又亮,身形高大像座城,低著頭跟隨大聖往前走,不敢哼哈不出聲。八戒一見心歡喜,抖擞精神下山峰,手舉釘鈀打後胯,一下重來一下輕。一直的出了山嘴歸大路,沙僧抬頭看的清,

両者を比較すると、影巻では鼓詞の字句を流用しつつ、三趕七に作り替えられていることが解る。加格達奇抄本は、こうした幾つかの操作を経て、皮影戯上演に合うテキストに改編されているのである。

4.テキスト作成の背景

旧時、灤州皮影では『西遊記』本戯や、西遊記に由来する『無底洞』などの折子戯が行われていたことが知られている*12。しかし加格達奇抄本はなぜこうした旧本の影巻によらず、わざわざ鼓詞の排印本などを基に改編されたのだろうか。解放後、戯曲曲芸は人民に奉仕する芸術と位置づけられ、政府によって大々的な保護育成政策が行われた。皮影戯もその例に漏れず、ドサまわりに近かった戯班も多くが国家の劇団に改編され、芸人たちの社会的な地位も飛躍的に向上し、また上演演目の整理保存作業も行われた。しかしこれは国家による戯曲曲芸の管理統制という側面も存在した。「社会主義的な観点」から「封建的」「迷信的」とされた、『西遊記』や『封神演義』の様ないわゆる神怪ものの演目は、禁演となるか、あるいは寓意を含む「神話劇」として生まれ変わるかという選択を強いられることになるのである。そして旧本の本戯『西遊記』や折子戯の『無底洞』などは結局禁演の対象となり、その後行われなくなってしまった。また現在でも灤州皮影で常演される『盤糸洞』や『三打白骨精』などの『西遊記』関連演目は「神話劇」として行われているものであるが、前者は解放後に小説から新たに創作されたもの、また後者に至っては麒麟童の紹劇から移植改編されたものであり、旧時の影巻『西遊記』の面目を伝えるものではない。また、一九六四年から始まった文化大革命では、多くの劇団が解散を余儀なくされ、残った一部の劇団も「様板戯」など「革命的内容」の演目以外は上演が許されなくなった。文革終結後、皮影戯の復興が図られ、散逸した影巻の復元や再抄写が各地で行われたが、すでに失伝し上演が不可能になってしまったテキストも多かったという。そして本戯『西遊記』もその一つだったのである。加格達奇抄本は、おそらくこうした背景の下で、抄写時期の一九七九年よりさほど遡らない頃に、鼓詞排印本を参考に皮影戯『西遊記』として新たに作り直された影巻であったと考えられるのである。しかしその際、なぜ小説『西遊記』によらず、わざわざ鼓詞本などから改編したのだろうか。顧頡剛は「中国影戯略史及其現状」で以下の様に述べている*13

(影戯テキストのうち)長いものは、「整本」とも称する。これは、多くが鼓詞や説書と共通している。…(中略)…影戯の物語は鼓詞や演劇など共通した分野のものに取材するほか、時事的な出来事から取っているものもあるが、そうした台本は時間が経って話題性を失うと淘汰されてしまうので、やはり鼓詞など時代を超越したものの流通しやすいことには及ばない*14

皮影戯はもともと鼓詞や他の地方劇などから改編されることが多いのである。そのため、そうした芸能と物語内容を共有していることが多い。特に鼓詞との関連は密接で、山東皮影戯の『八仙過海』なども、小説や戯曲よりも鼓詞テキストに近いという指摘がある*15。また、李家瑞は『北平俗曲略』で以下の様に述べている*16

影戯詞(影巻のこと)の中の唱句はまた大変規則的なもので、説唱鼓詞の唱句と完全に同じ種類のものである。ここから、影戯はもともと説書の一種であったことが解る*17

皮影戯は分類の上では演劇になるが、上演形態はむしろ鼓詞のような講唱文学に似た面もあり、両者の中間に位置する芸能であるとも言える。皮影戯の唱句が鼓詞と「完全に同じ種類」とまでは言えないと思うが、基本的にはやはりよく似たものであることは確かで、影巻を新たに製作するのに当たっても、鼓詞による方が小説や地方劇よりもずっと改編しやすかったのであろう。かくして加格達奇抄本のテキストは『説唱西遊記』に基づいて作られることになったのである。しかし、文化大革命終結後せっかく復興された皮影戯も、その後テレビや映画が普及していく中で時代に取り残され、現在では凋落の運命を辿ってしまっている。皮影戯『西遊記』の復活を志して製作された加格達奇抄本のテキストも、おそらくはあまり上演されないまま、外部に売りに出されてしまうことになったのだろう。

5.おわりに

かつて『西遊記』研究の一環として皮影戯を取り上げた磯部彰は、影巻には小説に取材したものが多く、また実際の台本は地方劇などから借用される傾向があるとした上で*18、シッペールの目録や印南高一の調査などによって『西遊記』関連影巻を検討し、以下の様に述べている。

(台湾皮影戯抄本は)原本を見ない以上想像の域に止まるが、『西遊記』から発展的変化が見られても、その改作という踏み込んだ執筆態度ではないと言えるのかもしれない。台湾の皮影戯とは別に、影絵芝居のしにせである灤州影戯についても同様なことが言えそうである。…(中略)…わずかな例を、きわめて粗い形で比較して結論づけるのは大変危険なことであるが、中国の皮影戯の場合、『西遊記』に取材した時、原作の枠をこわさず、それを上演するというのが一般的傾向であったように見える。

地方劇などの影響があるということであれば、中国各地の皮影戯を同一視せず、むしろその地域性を考慮して、接触している劇種なども視野に入れて検討しなければならないということになろう。にもかかわらず、台湾皮影と灤州皮影を同じ皮影戯ということで一括して考え、さらに泉州木偶戯で行われている解放後の新編『西遊記』なども同様に扱った上で、それらに対して「いずれも小説(世徳堂本)の枠を超えるものではない」と結論づけている。小説の枠というものが、具体的にどういった範囲を指しているのか明言していないが、いずれにせよ、鼓詞テキストに基づく加格達奇抄本などはその範疇から外れたものになろうし、また同じ灤州皮影のものとされる『西遊記』関連演目の中でも背景を異にする様々なテキストが存在することを考えれば、系統も製作時期も異なるものを同列に扱うことは決して妥当とは言えないだろう。結局それぞれの影巻については、その成立背景や受容状況などを考慮に入れつつ、テキストに即して一つ一つ具体的に検討していく必要がある。また皮影戯といえば、人戯では難しい表現が容易に可能となることから、いわゆる神怪ものが得意であるとされ、中でも『西遊記』はその代表的な演目であるかのように言われてきた。しかし、民国初期に中央研究院で行われた俗文学テキストの収集では、灤州皮影の『西遊記』関連影巻は実はほとんど含まれていない*19。『西遊記』に限ってはあまり影巻を用いず、即興に近い形で上演したので、テキストが残らなかったと仮定することもできるかも知れないが、むしろ少なくとも灤州皮影においては『西遊記』はそれほど中心的位置を占める演目というわけではなかったというのが実際の所であろう。中国都市芸能研究会で収集された影巻でも、解放後の神怪ものに対する規制も関係しているのかも知れないが、『西遊記』関連演目は僅かしかなく、灤州皮影関係ではほとんどこの加格達奇抄本があるのみであった。そしてそれが、解放後の排印本からの再創作であるというのは象徴的である。


*1 『平成九-十一年度科学研究費基盤研究(C)近代中国都市芸能に関する基礎的研究』、二〇〇一年、一四九頁-一五一頁。
*2 影巻などは一般的に巻一、巻二…と称するものが多いが、ここでは抄本封面の表記に従い第一巻、第二巻…とした。
*3 また第四巻のほか、各巻の封面及び末葉にも「一九七九年梅月」「昭崙書」などの題記がある。
*4 『中国影戯』(四川人民出版社、一九九二年)による。なお江玉祥は、それぞれの特徴や伝播状況などから、中国の皮影戯を秦晋影系・灤州影系・山東影系・杭州影系・川鄂滇影系・湘贛影系・潮州影系の八つの系統に分類する。うち灤州影系は、テキストを抄本による伝承に頼り、上演時も影巻を見ながら演唱を行うもので、冀東地域を中心として、西は北京東城から東は東北三省までの広い地域に分布しているとする。
*5 清蒙古車王府曲本とは、北京の蒙古車王府(那王府)で清末までに収集された俗曲のコレクションで、現在は複製を含めて北京図書館・首都図書館・東京大学東洋文化研究所・中山大学図書館・中央研究院歴史語言研究所などに分蔵されている。鼓詞『西遊記』は、首都図書館所蔵分のみに含まれ、北京古籍出版社の影印本では135函から144函に収録されている。劉烈茂等『車王府曲本研究』(広東人民出版社、二〇〇〇年)参照。なお秦嵐は「車王府旧蔵説唱『西遊記』に関する書誌学的考察」(『学林』第二十八・二十九号、一九九七年)、「曲本『西遊記』と混元盒五毒物語の関係について」(『立命館文学』第五五七号、一九九八年)において、この鼓詞『西遊記』を取り上げているが、「曲本」という呼称は不適当であろう。また磯部彰『『西遊記』受容史の研究』(多賀出版、一九九五年)一八二頁-一八七頁では、鼓詞『西遊記』は「モンゴル王が独自の好みで再編させた」もので「モンゴル人が『西遊記』を昇華した例」とするが、清蒙古車王府曲本そのものに「モンゴル的要素」が見出せない以上、当時北京で行われた鼓詞テキストがたまたま蒙古人の王府でも収集されたものと見るべきであろう。
*6 羅揚・沈彭年整理、通俗文芸出版社、上下集。
*7 なお、以下各テキストの原本では様々な異体字が用いられているが、ここではすべていわゆる旧字に統一した。ただし、音通などで別の字を用いているものについては特に改めていない。
*8 北京古籍出版社影印本による。
*9 抄本では影巻の通例として眼をあらわす絵になっている。
*10 初版の頁数による。なお再版では版式が改められており頁数が異なる。
*11 以下、灤州皮影の唱詞については、劉慶豊『皮影史料』(一九八六年、黒龍江芸術研究所)などによる。
*12 唐山皮影劇団の斉永衡・劉鋭華両氏の教示による。
*13 『文史』第十九輯、中華書局、一九八三年。
*14 (影戯本)長者,亦曰整本,此類多與鼓詞、説部相同。…(中略)…影戯故事取材除與鼓詞、戯劇等相同者外,亦有取社會實事爲之者,且該類劇本時間性一過,即歸淘汰,轉不如鼓詞等超時代者爲易流傳。
*15 簡濤「山東民間皮影戯『八仙過海』初探」(『山東師範大学学報(哲社版)』、一九八四年第二期)。
*16 中央研究院歴史語言研究所、一九三三年、三七頁。
*17 影戲詞中的唱句,又都是很有規則的,和說唱鼓詞的唱句,完全相類,可知影戲原是說書中之一種。
*18 『『西遊記』形成史の研究』(創文社、一九九三年)、四五〇頁および四三九頁。
*19 収集資料の目録として作成された『中国俗曲総目稿』(中央研究院歴史語言研究所、一九三二年)、および筆者の中央研究院歴史語言研究所所蔵資料調査による。